回線細くて巡回は厳しい、けれど、今の世の中常時接続が基本になりつつあるし、それに追従するためにもある程度しっかり確認したいって時、RSS抜粋配信は非常に助かるんだよ……。
ある物事についての情報を自分が受け取ってそれに対して
「へー、そうなんだ」と素直に受け取る人
と
「本当にそうか?なぜそう言える?ほんとうに正しいのか?」とか
疑問を持てる、しかも違和感があった場合とかに質問したり自分で調べようとすることが出来る人
(例えば、発掘あるある大辞典の納豆ダイエットに問題になる前に疑問を持てた人とか)
なにが違うの?もちろん、その発想に至るに足る知識。というのも大事だと思うけど
そうじゃない
決定的な視点の違いがどこかにあるのだと思うのだけれど・・・
どういう思考の人がそんな疑問を持てるのか・・・・
平均的な4歳児は、毎日400個以上の質問をしている。とかどっかで読んだ
4歳児でも出来てるというのに俺ときたら・・・
http://anond.hatelabo.jp/20070405180533
他の人の書いた感想文を見て(何の感想文でも良い)、元ネタに対して何を書いているかを考察する。そしたら答えがみえてくるかもしれないでそ。
読書感想文ってよくわからなくて、代わりにあらすじを書いていた人より。
安全性々々(ママ)と言うけれど、一体どれだけの人がそれを必要としているのやら。
や、けっこう大事よ?
大学時代の話になるけど、地方大学だったもんで6割車持ちで、うち3割は廃車経験有り、という感じだった。イニDも流行ってたしね(だからってコルサで山を攻めるな!)。田んぼに突っ込んだり、縁石に乗り上げて一回転ジャンプしたり、カマ掘ったり掘られたり、ガードレールと合体したり。
実数で言うと、友人関係でのべ20件以上。
でも、そのうち「重傷」は1件のみで、それはWagon-Rの助手席で脚骨折。おれもライトエース横転さしたけど、無傷だったし。
それを踏まえて、「少なくとも運転席にいる限り、最近の車ってけっこう安全なのね」という実感がある。
車はけっこう事故る。それは現状の密度では不可避。ならばせめて死ににくいように、というのは皆が思うことなんじゃないかな。少なくとも地方住まいは。
その作品を通じて思い出した(感じた)自分のことを書く文なんだ。
作品の内容なんてテキトーに無視してもいいよ。
(例・山月記の場合
全文配信してるのが開けっぴろげなブスだったらどうすんだ(それは器量悪)
「劇みた→よくできていた」
これじゃ1行終わるに決まってる
まず自分のうけとった情報を、あらすじにして、かけ
なにがどーしてどうなったのか
あらすじだけでもぜんぜん向こうと見方がちがうから面白いもんだ
「どうなるんだろうと手に汗を握った」とか心にもないことをかく
ていうか、隠したい人格があるのでなければ、
人格をそのまま出せばよい
それを丁寧語になおして「すごくおもしろくて笑わずにいられませんでした」にすると字数2倍マジック
そうすると大抵感想を紙に書いて提出させられる
それを書くのがひどく苦手だった
数行も書けない
1行が限界だったりする
もちろん最初から最後まで寝ないで観ていても
書くべき事が思い浮かばない
まわりを覗き見ると紙いっぱいに何行も書いていたりする
そういう事が自分は出来なかった。
そして、気にせず卒業し数年後
現在就職活動中・・・たまに感想やらなんやら書かせる企業がある
書けない・・・・
どうすればそんなに書けるの?
Hello, 私 名前 is Tom. It's a 歓喜 to 遭遇 you.
私'm from 米国; 私 住 in New York 及 私 am 一 医師.
私 持 一 若er 妹 及 二 老er 兄達, 及 they 住 in New Jersey.
無理でしたorz
そもそもの最初から目的の共有のしようがない議論の場合にはどうするか、ということもついでに考えてみた。
一般に目的の共有できる議論とは、共同で何かしらの意志決定・行為を行う際に、議論によって決定が期待される手段・方法が目的合理的であるべきだと見なされている場合だ。企業の経営判断などがこれに当たる(もちろん実際には目的合理的でない要素も入り込むが)。
そうでない場合、つまり目的に沿った手段が集団的意志決定として一義に決定されるべきだという前提が最初から存在し得ない議論の場合はどうか。
例えば、先日「まなびストレート」というアニメの評価を巡る議論がちょっと盛り上がった(?)ことがあるが、文芸評論などのような価値評価が多分に入り込む議論の場合、目的合理性のように判断基準がある程度明確に決定できるわけではない。
このような場合になお“炎上”抜きで議論をするには、
という二種類のアプローチが考えられる。
気が向いたら後で続きを書く。書かないかもしれないけど。
涙の原因になったことがはっきりあって(例:上司にいじめられた)、
それがはっきり完全に解消された(例:4月付けで上司異動)のなら、
「心の風邪」もなおったということで、
きっぱりやめちゃっていいかも。
やっぱりふわふわしちゃう薬の名前だよ、それらは。
またつらいことがあったら
(例:その上司があなたのことをどういうふうにいっていたとか、
ききたくもないのにいわれた)ら
そのときだけ飲めばいいんじゃないかな。
煮られると孕むんだにゃ!