2007-04-05

 そもそもの最初から目的の共有のしようがない議論の場合にはどうするか、ということもついでに考えてみた。

 一般に目的の共有できる議論とは、共同で何かしらの意志決定・行為を行う際に、議論によって決定が期待される手段・方法が目的合理的であるべきだと見なされている場合だ。企業の経営判断などがこれに当たる(もちろん実際には目的合理的でない要素も入り込むが)。

 そうでない場合、つまり目的に沿った手段が集団的意志決定として一義に決定されるべきだという前提が最初から存在し得ない議論の場合はどうか。

 例えば、先日「まなびストレート」というアニメの評価を巡る議論がちょっと盛り上がった(?)ことがあるが、文芸評論などのような価値評価が多分に入り込む議論の場合、目的合理性のように判断基準がある程度明確に決定できるわけではない。

 このような場合になお“炎上”抜きで議論をするには、

  • あくまでも目的合理性やその他の明確な判断基準が取り得る問題設定の枠内でのみ論ずることに徹する。
  • 目的の共有ではなく、なにか他の部分で議論の妥当な進行が図れるような方向を考える。

という二種類のアプローチが考えられる。

気が向いたら後で続きを書く。書かないかもしれないけど。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん