一つ、いや二つのコピペから始まったこの一連の恋やら愛やらセックスやらの流れを見てて思ったんだけど、
あれだ、もう童貞とか非モテとか自分語りうぜえとかそういう次元を通り越して、ただ羨ましい。
恋人がいるとかヤりまくれるとかそんなことじゃなくて、なんつーの、フられることも、裏切られることも、
全部ひっくるめて、人生に何かが起こっていて、何かを起こしている。そういう感じが羨ましくてたまらない。
前までのように「結局これ自慢じゃんド畜生が!」とかイラつかずに、
スムーズにログを読めてる自分に気づいたとき、そう思った。いや思えるようになった、のか。
このままトントン拍子に大人になれるかどうかは、ちょっとお先真っ暗気味ではあるけど、
前よりちょっとだけなってみたくなったね。まだまだ怖いしめんどくさそうだけどね。
「ハイバネモードに入った俺のPCは冬眠してんのか…」みたいな
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=hiber
Hibernateの語源はHiberniaあたりから来てるのかな。(推測)
http://www.globe.co.jp/information/general/generalinfo.html
シーザーの時代にはすでにアイルランドのラテン名「ハイバーニア(ヒベルニア)/Hibernia」(『冬のような』を意味するラテン語の「hibernus」が語源)が使われていた。
http://anond.hatelabo.jp/20070121021750
なにかやなことあったのかい?
http://anond.hatelabo.jp/20070121014828のそぼくなぎもんたん。
かわいそ
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/aruaru2/index2.html
なんか、もう完璧信じきってしまってる人とかいるのね。
両方とも「健康の追求」が至上命題なんだが、まぁ医者が出てるだけ後者がましか?よくわからん。医者っていってもいろいろだし。
まぁ、あんだけ壮大な捏造するくらいだし、この掲示板の書き込みも本物かどうか…げふんげふん。
とか流行りませんかそうですかそうですね。
まぁあるあるばかり叩いてもね。公共放送のアレは平気なのかね。あとズバズバいう中のひとの番組とか。
それにしても国民の多くが健康オタク化してませんかこのごろ。中年くらいのひとを中心に。
数年まえまでは、一部のひとだけじゃなかったか。ここまで健康を信仰するひとは。
意識が高くなったのか、洗脳されやすくなったのか。BSE問題からはじまってる気がしないでもない。思い込みかも。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070120-00000032-jij-int
115歳か。この年で自然死ってすごいな。印象だけど、高齢になるほど病気で亡くなる気がする。やっぱり年を取ればどこかはわるくなるんだし。
健康なんて意識したことあるのかな、こういう人は。
カナダに住んでいた経験では、ベジタリアンも多いけど、そうでないひとは肉食べまくるよ。
ああこの人はケベックの人か。じゃあちょっとおれの知ってるカナダ人とはちがうかもしれないな。
というネタを思いついた。
100年続くことはないので確認できないとかなんとか。
ありふれてるよね。つまんなくてごめんね増田。もう寝る。
http://anond.hatelabo.jp/20070121014828
要は、他のところでhibernationという語彙を使ったことがあるかないかで、びっくり度が異なるってことだと思う。その論法でいくと、夏眠のことなんか誰も聞いちゃいない。儀礼・慣習=protocol、あたりのほうがシリーズとしてはしっくり来る。
…まだわからない? だろうよ。わかる人にしかわかんないように書いてるから。
あいだ
↑
____ / \ / ─ ─\ / (●) (●) \ | (__人__) | / ∩ノ ⊃ / そう言う時代か・・ ( \ / _ノ | | .\ “ /__| | \ /___ /
http://anond.hatelabo.jp/20070121010233
同感。私ももはや、恋愛とセックスと結婚を同一視はしてなかったつもり。
でも実際には三者のもつれ合いに足をとられています。
いま私に言い寄ってきている男は、おそらく「ヤりたい」で近づいてきているんだよね。
で、私はそれを感じとりながらも、さびしいから誰かにいてほしい、かまってほしい気持ちのせいで、遠からず説得されてしまいそうです。
進むも退くもしんどいわい。
ただ、いままでは何故自分はしんどいのかがよくわからなかった。モテてうれしい、付き合おう、と素直に思えばいいのではないかと。
その混乱は、相手と私の異なるニーズが一見「付き合う」という一つの容器にうまくおさまるようにみえるせいだったのだと、上記の記事のおかげで気がつきました。
結婚、はこの関係ではしないほうがいいんでしょうね。でも世の中の多くの人たちは割り切ってまたは気づかずにこのくらいでも結婚しているのかもしれないね。
すこし前に大阪で起きた事件。ある男が「ストレスがたまり、むしゃくしゃした」と突然3歳の子供を歩道橋の上から放り投げた事件を見て思ったこと。
数年前の自分なら「ありえねー。怖ひー(笑」と全く自分とは関係が無い事件と思ってまあ適当に感じていたのだろうが、今現在の自分としては少し身近に感じ恐怖にかられている。と言っても、自分に子供が出来てピチガイ怖いと言っているのではない。自分が事件を起こした男と同じようなことをするのではないかという恐怖に。
若い時の自分は通常の時の自分とイライラしている自分もどちらも同じ1人の人間として同じ自分と感じていたが、ある事をきっかけにしてから、色々な感情の時の各々の自分が違う人間なんじゃないかと思えるようになってしまった。特にイライラしている時が。不機嫌な状態で不愉快なものを見た時、自分を制御出来ない感覚が。以前、一回ブチ切れして壁を殴って穴をあけた事があるのだが、それ以来一旦開けてしまった扉は以降は開けやすくなってしまったようである。
そんなんだから自分がこの事件のような事をしないと言える自信は、以前は「ねーよwwwww」みたいな感じだったのが、今は「無いと思う」ぐらいか。そしてその差から未来を想像すると・・・。特に今の自分の不満な状態のまま年を重ねると確実に悪化の一途を辿る道しか見えない。
別に今の自分はなりたくてなったわけじゃないし、むしろなりたくないのになってしまったといった感じである。そして当然そうじゃなくなりたいと思っている。というか、ならないと思っていたらいつの間にかそんなふうになってしまっていた。な… 何を言ってるのか わからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった…。頭がどうにかなりそうだった…。催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。
って違う。いつの間にかそうなっていた自分だが、「手に持っている鞄を1回転してから明後日の方向へ投げ飛ばしたい」とか「前の人の背中を蹴り飛ばしたい」とか「あああああ!!と言ってデパートのショーウィンドウのガラスを殴りたい」といった衝動を抑えている。それは何故かというと色々あるのだが、しかしそれらは年々削られているみたいな感じ。少しづつ枷が外されて最後に枷がなくなり精神が自由にばった時に、この事件みたいなことを起こすのだろうか。今はそんなのは嫌だと思えるが、そう思えなくなり「もうどうにでもなれ」と思ってしまったらと考えると怖くなる。
枷が欲しい。自分の精神に枷をはめたい。この開放されていく精神を重く縛り付けたい。けど、まわりの普通の人は増えているみたいですよ?。自分にも欲しい。
なんか、アホみたいな文章になってしまった。とりあえず、病院には行っている。宗教は最後の手段。
今の自分の未来を想像することで、何故40代未婚の男性が不審人物になるのかが良くわかった。だけど、不審人物だからと言って速攻排除するのも難しい。良く「死を覚悟している人は強い」と言われるが、この強さが負の方向で発揮されちゃうと社会ってとんでもないことになっちゃうので、上手くコントロールしないといけない訳で。まあ、将来自分がコントロールする側なのかされる側なのかわからんが。
ここに質問書いたら誰かが質問してくれないかなと思って書いてみます。
○質問
東武東上線によく乗るのですが
春になるとあーあー言いながら車両の間を行き来する男性をよく見かけます。
なぜ彼は春になると車両を行き来する必要があるのでしょうか。
○回答に対するコメントは3種類のうちからテキトーに選んでください
1「東武東上線の彼について聞いているので他の人の話は結構です」
2「知らないのなら答えないでください」
3「私は彼が病気だとは思っていません」
代わりに質問した人が飽きたら回答終了してもらってかまいません。
宜しくお願いいたします。
男の方が惚れやすいかどうかはわからないけど、
たとえば男って、クラスに20人女子がいたらそのうち何人としようとおもえば出来るもの?
女から見ると1,2人しかいないよ。あとは生理的に無理。(好みはひとそれぞれ)
受けですからね。