ジェノサイド条約にも厳密な定義のある国際政治用語である「genocide」の訳語としても使われる「虐殺」という言葉を定義通り使おうとすると検閲される問題があるとしたら、それは歴史修正主義の問題であって、「表現の自由」まで議論を後退させるべきじゃないと思うけどなぁ。
関東大震災朝鮮人虐殺事件は歴史的事実として「虐殺」なわけで、それを「虐殺と呼ぶ自由もある」とかいう話にしてはいけないと思うけど。
奴らの言い分って要するに、「国際政治用語としての『虐殺』に相当する歴史的事実なんてなかった。間違った用語の使い方は認められない」というものでしょ?
ちゃんと「『虐殺』は確かにあったのだから、言葉を正しく使うならば、『虐殺』と呼ばなければならないのだ。むしろ、『虐殺』と呼ばない自由などないのだ」とはっきり主張しなければいけない場面だと思うけどなぁ。
「表現の自由戦士」みたいなこと言ってないでさぁ。