ようやく9巻を読み終えたので、という訳でもないが、ふと思った「よつばと!」と物語性について少し書きたい。もう似たような議論をしている人もいるかも知れないが。
まず、「よつばと!」を物語性があるか?という視点で考えていきたい。
もちろん、ストーリー性は薄いよね、というのが大抵の人の回答だろうと思う。
確かに、時間軸的には進展しているが、エピソードの連続であり、ストーリー性は薄い。
ただし、この漫画は「(この作者の前作であるあずまんが大王のような)日常系キャラ萌え四コマではない」事にも注目したい。平たく言うと、ページ数から考えて、「よつばと!」はオーソドックスなギャグマンガ(モテモテ王国やジャガー、イカ娘など)に近い構造をしている。つまり、ページ数が少なめで、非日常側にいる(ボケ役の)メインキャラクターの一人(この作品では、よつば)を中心に話が進むという構造である。
一つ思うのは、この漫画の非常に新しい点は、”ギャグマンガになっていない”事にあるのではないかということだ。
通常、ギャグマンガの場合、非日常側のボケ役が非日常的な行動を行い、ツッコミ役の常識人がツッコミを入れるという構造になっている。この「よつばと!」の場合は、基本的に、非日常側のボケ役を子供(よつば)が行っており、それに周りの大人達がツッコミを入れていく。
しかし、よつばは果たして、非日常側の人間なのだろうか?と考えた場合、(ちょっとおかしな所はあるけれど)子供は普通こんなものであると言ってしまえる部分もあるのではないだろうか?よつばは十分に日常側の人間であると言うことができるのではないか。ただし、子供は基本的に非日常側の人間である、という意見も説得力もあるけれど。
議論が混乱してきたので、言いたいことをざっくり言ってしまうと、ポイントは以下の点だと思う。
①子供(よつば)から見ると、日常が驚きに満ちた非日常に見える。
(ので、よつばの視点では、日常が冒険(=物語)に満ちあふれている)
②子供のいる日常は、子供という非日常を包含しているが、「その非日常性は、大人自身も体験してきたことである(誰にでも子供時代がある訳だから)」。従って、漫画を読む視点として、複眼的視点が生まれる。具体的には、非日常的なよつばを見ることで和んでしまう大人としての視点、もう一つは、自分が子供の頃の頃を思い出すノスタルジックな視点。
結局、「[誰にとっての]日常or非日常なのか」という視点の問題なのかも知れない。
例えば、銀英伝に出てくるヤンウェンリーが劇的な勝利を収めたとする。
ヤンウェンリー以外の作中人物はドラマチック性を感じるだろうが、ヤンウェンリー本人にしてみると、割と散文的な現実ではないだろうか。そして、非日常の中に日常を見る人間と、日常の中に非日常を見る人間という点で、ヤンウェンリーとよつばは、対照的であるし、その点が「よつばと!」の新しい点ではないかと思う。
アニメ化したら、すごくつまらなくなりそうとは思う
同じ理由か知らんが、スピリッツで連載されている「団地ともお」もなかなかアニメ化しないな。 こっちも基本的には日常でそう奇異にあふれた話ではないのだが、まあドラマ性はあっ...