「自殺未遂」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自殺未遂とは

2012-02-12

東京都自殺相談ダイヤルというもの、の続き、の続き。ほぼ完結編。

http://anond.hatelabo.jp/20120207115431

の続きです。

 

先週末の金曜夜7時頃、仕事を終えてから所轄の警察署電話をして

自殺予防担当の生活相談課の方はまだいらっしゃいますか?」と受付の方にたずねると

「たぶん帰ってます。平日8時半以降にまたいらしてください」とつれない返事をいただく。

 

しかし先週も先々週も事が起きたのは休日なので週明けまで待ってる余裕もあまりない。

なので家から一番近い最寄り駅の交番に飛び込んで1から事情を説明した。

すると「担当の者はたしかに帰ったが、生活安全課の児童防犯係の人がまだ署にいるらしいのでその人と相談してみてほしい」

といわれ、そのまま警察署へ徒歩移動。

 

すでに話は通してもらえていたので受付で名前だけ告げると、その児童防犯係の人がすぐに出てきてくれて書面製作開始。

これでやっと警察人の力が借りられる・・・

 

 

 

と思いきや、ここで警察の人の思わぬ告白

警察「実は、私たちでは保護できません。自殺未遂場合はまず保健所通報して、

そこの医師の方が入院の必要アリと判断した場合は強制入院となります。」

増田入院の必要なしと判断した場合は?」

警察保護ができないので署に戻ります

増田自殺未遂者への対応は?」

警察「落ち着きを取り戻したと判断し、何もしません」

増田「誰がその後の注意を払うんですか?」

警察「本来ならば保護者ですが、この場合同居人である貴方が見る事になります

増田「私にはもう同居人を止める余力がありません」

警察「お気持ちはわかります、ですが犯罪がおきてない限り私たちは保護できません。

犯罪もおきていないのに保護してしまうと警察権力暴走だと言われたりするんです・・・

増田「それでは、自殺をしようとした際に私を突き飛ばしたりした、つまり暴力を振るったという理由で保護は無理ですか?」

警察暴行罪で告訴をするという事ですか?それで処罰をする事はできますが、処罰を望んでいるわけじゃないんですよね?」

増田「ではどうしたらいいですか」

警察「つまりですね、自殺未遂者を救う法律は無いんです。」

増田「気づいた人が止めるしかないんですね」

警察「そうです。それ以外に自殺者を救う仕組みはありません」

 

 

 

結局何も解決策を得る事ができないまま夜11時を過ぎて帰宅。そのまま寝る。

 

 

 

翌朝、すでにボロボロになった自分精神面をケアしてもらうべく、

3ヶ月前に一度おせわになった某メンタルクリニックに行き、無意味だと知りつつも警察でのやりとりを説明。

すると・・・

  

医者「次もし同居人自殺未遂に及んだら、110番ではなく119番電話をしてください。

そもそも自殺未遂を繰り返す事がすでに異常なので、親の承諾を得られたらそのまま入院措置となるはずです」

増田「え?本当ですか?」

医者はい。もし親と連絡がつかなかった場合は2人目の医者が判断します」

増田「その後は?」

医者同居人の親が全ての責任を負う形になると思います増田さんは同居人なので責任を負う必要は一切ありません」

増田・・・

医者「貴方は自分人生をやりなおしてください」 

 

 

 

しま同居人自殺未遂に及んだ時は、迷わず119番します。

それがベストの解決策なのかどうかは、俺にはもうわかりません。

ただ、俺はそれで救われるようです。

俺以外の人が救われるのかどうかは、わかりません。

2012-02-07

東京都自殺相談ダイヤルというもの、の続き

http://anond.hatelabo.jp/20120206103920)の続きです。

 

東京都自殺相談ダイヤル自殺未遂者の周囲の人間に対して何の助けにもならない事がよくわかり、

次は警視庁総合相談センターhttp://www.keishicho.metro.tokyo.jp/soudan/sougou/sougou.htm)に電話をかけた。

 

ここでようやく事態の重大さに気づいてもらえたものの、結局のところ所轄の警察署の生活相談課に相談してほしいとのこと。

いつまでたらいまわしにすれば気が済むんだよ、もう見捨てるぞ!おい!という気持ちを無理やり抑え込み地元警察署の生活相談課に電話

すると「まず相手の親に助けを求めろ」との事。

とっくに相談してるのに何もしない、自殺未遂をしたと話しても相手の親は様子も見に来ないと伝えると

「相手を傷つけるか、自分を傷つけるかしないと警察は動けない」と言われる。

傷ついてからじゃ遅いだろう、もうロープに首をかけるところまでいってるんだよ!と言うと

 

 

「それなら警察でも保護できる。ただ、一度警察署まで来て事情をもう一度説明してください。

きちんと書面を作らないといけないので」

 

 

この国は自殺者を減らそうなんて本気で考えてないんだね、ニッコリ。

今度営業時間を調べてから警察署行ってきますわ。

 

 

■追記

精神病院とかお役所運営の保護施設的なもの親族以外の人間(=ただの同居人)が

強制的に入院、入居させる事は人権侵害に当たるためできないそうです。

2012-02-06

東京都自殺相談ダイヤルというもの

昨日の夜1時頃、東京都自殺相談ダイヤルという番号に電話をかけた。

内容は自殺未遂を繰り返す同居人を強制的に保護してもらう方法を教えてほしい、というもの

東京都福祉保健局の窓口だし、きっと俺の救いになってくれるだろうと期待をして電話をかけた。

 

ところがなんとなく予想はしていたが、この番号は「”自殺の悩み”を抱える方のための相談電話」なので

身近な人間自殺未遂を繰り返しているという悩みには何の対処法ももっていなかった。

その為「次また自殺しそうになったら警察電話してください」で終了。

 

警察なんてなんの役に立たないのに。

俺が自殺に挑む同居人を全力で静止させて落ち着かせてからのこのこやってきて

「落ち着いてるようなのでしばらく様子を見てください」と言って

俺たちを見捨てて帰る事しかできないのに。

 

もう疲れたよ。

2012-02-03

なんか唐突に思い出した。

かなり昔、松田なんとか?とかい実名出して増田やってた人が自殺かなにかで亡くなったことがあったよね。

人力検索松田氏への哀悼コーナーができたりして。

あれが僕にとってネット上で他人の死を目撃した最初経験だったな。

僕自身は彼のことをどんな人物か全然認知してなかったので蚊帳の外だったんだけど。

思えばあれから何年か経ったが消息不明になったネット上の知人は僕の周りにも何人かいる。

死に至る難病にかかったことを告白して、治療中にサイト更新を途絶えさせた人。

自殺未遂を繰り返してることをほのめかして、いつの間にか消えた人。

出産につきしばらく更新途絶えますと宣言して、そのまま10年以上も更新がないままの人。

みんなどうしてるのかな。

2012-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20120118212732

それだけの力を持つ言葉は例えば「自己責任」とかね

言霊を甘く見てるね

長期間影響力が強い人が周りの人々に「あいつは駄目だ」と何がしかあげつらって相槌を打たせ

同調させとけばやられた人は周りが見えなくなって「自分クズだ」と思い込み自滅していく

強い人でもこの仕組みに気づかない場合メンタル弱っていく そして世の中に馴染めなくなり

自殺したりメンヘル廃人になる。自殺未遂を繰り返すようになるよ 

分かってる人は嫌がらせを受けた人がそうなることをちゃんと分かっててやるし

メンヘルになって憎しみや殺意を抑える為にリストカットなどを繰り返せば「キモい

かまってちゃん」とまたあざ笑うネタに使うよ 自分の愉悦やストレス解消の為にね

から言霊の「呪い」のシステムに打ち勝つためには、「呪い」を拒絶するのではなく

呪い」の力を理解して受け入れなきゃいけない

貞子のビデオ呪いから逃れる方法はなんだったか・・・

相手も醜くまた自分も醜く「どっちもどっち」の状態になって初めて相手の弱さや「呪い」を

余裕を持って受け入れる事ができるようになるんだよ

追記:コピペ言葉受け売りモラルを他人に押し付けようとする人ほど

場合によっては嫌がらせしてくる人より人を苦しめるし

嫌がらせを喜ぶ人にとっては動かしやすい守りの駒になりやすいのさ

「一番の仕返しは幸せになることだ」という言葉を嫌っているのはそういうこと

幸せになっても「憎しみ」って消えないよ 

普段は忘れていても時折フラッシュバックして思い出す類のものから

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111220013355

筆が進むときしか書けなかった気分屋だと聞くよ。

スランプ期は知人や師匠に当り散らしたと。

大物にケンカ売ったのは情緒不安定のためだし。

太宰は酒や薬に溺れ、女に溺れ、繰り返し自殺未遂し、借金を何度も踏み倒したメンタルよわよわ男です

http://anond.hatelabo.jp/20111220002247

20代・30代ではなんと46%もの女性自殺未遂歴あり。

自殺者のうち」を省略すんなw



因みに高齢者自殺成功率男性女性の差が少ない。高齢者場合覚悟して念入りに準備した上での自殺が多いので、確実に死ねる手段を選ぶから

何かの勢いで自殺する人が多い若年層だと、男性自殺成功(と言う言い方も何だけど)しやすいけど女性は失敗し易い。

あと女医自殺成功率は男医と変わらないってのもあったな。医学知識がある故に確実に死ねる手段を知っていてそれを選ぶから

http://anond.hatelabo.jp/20111220001521

横だけど。

今の男性自殺率の高さは正直、危険だと思うよ。

実は自殺未遂率は女性の方が相当高いんだな。

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2011/html/honpen/part1/s1_1_14.html

20代・30代ではなんと46%もの女性自殺未遂歴あり。

男性は同じ年代で17%。

自殺を企てて完遂できる率は男性の方が高い(これは世界共通)だけど、そもそも自殺したいと思うまで追いつめられてるのは女性の方が圧倒的に多いってことだよ。

2011-12-06

精神病であるのならばどれだけ理不尽な主張であっても許されるのだろうか。扶養家族はそれを受け止めなくてはならないのだろうか。

姉の話です。姉は高校を中退してからというもの、もう十年以上も精神科に通っている精神病患者です。重度の欝と統合失調症とを抱えているのだそうです。詳しくは知りません。もうかれこれ何度か入院経験しています癇癪持ちでもあるようで、今なお家庭内暴力を振るいます

お陰で、愛犬からも怖がられている始末です。以前は暴走感情が昂ぶって、家族口論したり自殺未遂をしたりする状態)が始まると心配そうに間に入ってくれたそうですが、今やそそくさと部屋から逃げ出してしまうのです

私も含め、家族にはもう諦めしかありません。姉の過去にどのような問題があったのか、具体的に把握できない上に、過ぎ去ってしまったこと故に施しようがないかです。にも関わらず姉は過去のことを持ち出し、家族に、とりわけ母にあたります。どれほど謝ったところで意味など無いのに。姉自身が謝罪を受け入れようとしないのです

姉は、謝罪を拒絶し徹底的に信じないことによって、かえって母を脅迫し返してくるのです自分など居なければいいのだろう、死んでしまえばいいのだろう、そう思ってるんだとだけ繰り返し、否定は一切受け付けない。それどころか、ますますひどい猜疑心に陥っていくばかりなのです

また、暴走が始まるきっかけも理不尽まりありません。

例えば、母の体を抓ったり手に噛み付いたりしていてその行為を拒まれた場合や、恥ずかしい話ですが頭を撫でて貰えなかったりすると、暴走への種火が付いてしまうのです。そもそもにおいて姉は、自意識自己愛、プライドといったものが極端に高い人なのです。そういったものが高すぎるがゆえに、絶えず他者に対して劣等感を抱いているのです。姉自身が一番嫌っている他者との比較を、意識的にか無意識のうちにか、率先して行なっているのです

その苦しみなり憤りが内側で爆発しないのが姉なのです。自身の存在意義を徹底的に見限っているくせに、他者には、とりわけ最後の砦としての母だけには認めてもらいたいのですしかしながら、存在意義を全肯定してくれる母の言葉を信じることができない。結局、堂々巡りなのです

姉は自らの価値観を傷つけられることに敏感である割に、平気な顔して他者のことを貶してしまえる人間です。無論それは家族の前での面なのでしょうが、性根が悪いと言わざるを得ないこともまた事実であろうと思うのです家族として、こんな分析をし憶測までしてしまうことはひどい行為なのかもしれませんが、過去の問題もまた然るべきして生じた出来事であったのではないかと思ってしまうのです

正直なところ、私は姉が大嫌いです。この世の中で唯一具体的な嫌悪感を覚えることのできる相手であるです

とは言え、このまま放置することもできない。姉がどうこうと言うよりも、母の精神心配なのです

昼過ぎまで寝ていて、ネットゲームだけして、食ってまた寝る姉の歪んだ生活サイクルに、母は振り回っされぱなしなのです。昼過ぎまで寝ているので夜眠りにつきにくい姉は、睡眠導入剤を呑んではいものの、深夜になると暴走への兆しがぽつぽつ見られるようになります。気持ち悪いくらいに母に甘えたり、ろくに運動もしていないのにマッサージを強制するのです。拒めば暴走が始まって、死んでやるからと家を飛び出す始末です

母には母の生活があり、仕事があるのです。にも関わらず、毎日夜一時ぐらいに寝て、六時には起床しなくてはならないのです。姉のご機嫌を取りながらです。疲れなどとれるはずがありません。ここ数年で白髪がめっきり増えたように思います

母だけではなくて、私もまた姉という負担を負わなければならないのだとは思います。姉が母に要求をすることがないよう気を配ったり、意識を逸らしたりするべきなのかもしれません。暴走が始まった時も、上手く立ちまわることが出来ればいいのです。首に包丁を当てて自殺をほのめかす姉を、どうにか押さえ込むことができたらいいのかもしれません。

私は卑怯者なのです。臆病で面倒くさがり屋で、家族とさえもそれほど距離を縮めようとは思わない、またそう思うことで責任逃れをはかっている最低な人間なのです

ただ、私にはもうどうすることもできないし、どうすることもしたくないのです無視してしまいたい。姉なんて、いなくなってしまえばいいと思うのです

それでも、現実問題として姉は依然として母に寄生しているし、お陰で母が苦しんでいる。私はどうにかするべきなんです。でも、どうすればいいのかわからない。

行動を起こすことが怖いのです。大嫌いな姉だけど傷つけることが怖いのです。私は責任を負いたくない。誰かと真っ向からぶつかって、何かが決まってしまうことが嫌なのです

反面、もう傷つけられ続けることだけには我慢ならない。自分でも我侭なことを言っていると思います。どっちつかずのまま愚痴ばかり言うしか脳のない人間なんです

ただ精神病患者から過去の出来事の被害者から弱者からといって、泣き叫び喚き散らかし、依存できる環境に浸りきったまま我欲を他者に押し付けることは、被害者であったはずの人物が加害者の側に立ち変わっていると言っていいのではないでしょうか。姉の言動を病気なのだからと受け入れ、容認することは、加害者に優しくしているのも同然なのではないでしょうか。

母を筆頭に、私たち家族は姉のお陰で随分と傷つき苦しんでいるというのに、あんまりじゃありませんか。

私たち家族にできることなどたかが知れています。そんなことはわかっているのです。私たちは耐えなければならないのだし、待たなければならないのです。いつになるともわからない姉の快方を、息を潜めたままじっと待ち続けなければならないのです。そうするしかないじゃないですか。誰の言葉も届かないのですから

母が姉の甘えをやんわりと拒むことができたらいいのかもしれない。あるいはいっそ、家族のことなんて見捨てて考えないようにしてしまえばいいのかもしれない。もちろん、私自身がうまい仲裁役を買って出るのが一番なのかもしれません。及び腰の癖に問題意識は一著前、なんていかにも卑怯で格好悪いですから

色々とわかってはいるんです。わかっているつもりではいるんです

それでも、どうすればいいのか、わからないんです。どうしようもないんじゃないかと諦めてしまいたくなるんです

2011-11-04

親には感謝すべきなのか

このまとめ(虐待された人が親を憎むのは悪いことか http://togetter.com/li/209210)を読んで。

自分語り乙な話だから増田に書く。


わたしは母子家庭で育った。母は女手一つでわたしを育てた。

母も女なので、幼少〜小学校低学年まで付き合っている彼氏がいたりしたが、相手の親に

子供を捨ててきたら結婚させてやる」と言われ、わたしを捨てず、彼氏と別れた。


その後、母は仕事先でとある男と知り合い、付き合い始めた。

その男は、自分会社を起こし、金があったらしく、我が家の生活もその男のお陰で豊かなものになった。

ある日のこと、母がその男にわたしを預け飲み会へ出かけた。


その晩、わたしはその男性的ないたずらをされた。

(入れるまで行かないと強姦じゃやなくて、いたずらになるらしい)

当時のわたしは、そんな知識はまったくなかったので、自分に何をされたのかわからなかった。

ただ、気持ち悪かったことだけは覚えている。

その後、その男行為エスカレートしていき、男が泊まる日は、母がお風呂に入っている間に

わたしの布団に男が入ってきて…という事が何度もあった。

わたしは嫌だったが、子供ながらに、我が家の生活がこの男の援助によって成り立っていることを

理解していたので、自分が我慢すれば母が苦労することはないと思い、思いっきり抵抗することも、

母にその行為を話すこともできなかった。

ただ、男の事が嫌いだと何度も母に訴え、別れるよう促したが、(当たり前だが)母には理解されず、

中学生になるまで、母とその男の付き合いは続いた。


その後、男が浮気をしたとかで母がその男を別れた後、わたしが精神不安定になり、自殺未遂を起こして、

今までのことを母に話した。

母は男を相手に裁判を起こした。

その時、母に「今まで男にそういうことをされていると話さなかったのは、自分(母のこと)を女として

見ていて、男とのことを嫉妬していたからか」と言われたり、

自殺未遂を起こした当時、母には付き合っている男性がいたが、裁判のために通院していた精神科医

先生に「付き合っている男性はいない」と嘘を付いたり(裁判を有利にするためについた嘘だとは思うけど…)、

母は男にわたしに性的ないたずらをしているというような事を言われていたが、冗談だと思っていたと

わたしに話した。


その後も色々あったが、裁判に勝ち、慰謝料をもらったらしい。

(出廷していないし、母から説明されなかったので、男からいくら貰ったのか不明)

慰謝料は、わたしの入院費、家電の買い換えなどに使われたと思われる。)


そんなこんながあり、親と不仲になったため、成人してすぐに一人暮らしをしたが、

わたしが結婚することになり、「表面上」母と仲直りした。

彼氏よりわたしを選んでくれたり、女手一つで育ててくれて感謝もしてる。

から結婚式ときだって感謝手紙を(我慢して)書いたし、読んだ。

でも、職場の人や、旦那の親に「もっと里帰りしないの?」や、「親孝行しないと!」と

言われると、どうしてもモヤモヤしてしまう。

母があの男と付き合わなかったら、わたしはあんな目に合わなかったと思わずにいられない。

今は旦那結婚してすごく幸せなのに、母の話題になったり、母から連絡がくると、どうしても

その考えが頭を過るし、時々わたしが男に襲われているのを母が助けもせず、むしろ男に加担する

というあり得ないような夢まで見る。


わたしが母にもっと早く男にされている行為を話せば良かったって分かってるけど、どうしても

から母に感謝なんて出来ない。出来れば、今後関わり合いたくない。

でも、こんな話、旦那にも旦那の親にも言えない、友達にも、職場の人にも。

2011-10-30

愚痴書いた

はずだった。

んだけど、なんだか投稿されてないね

母がアスペルガー症候群か、私がアスペルガー症候群か、もしくは両方アスペルガーだと思うんだけど何ともならない

から言葉のDVひどい母だとは思ってたけど最近アレは私以外ほ弟を除くすべての人に適用されていると知った。

そしてどの暴言も忘れているのだ。母には私を可愛がっていた記憶しかない。そしてそれを詩にして公衆の面前で発表している。

してもらった覚えのない「いい母」像の詩の朗読を聞かされた私は本気で寝込んで自殺未遂をした。

そんな風に愛されたかった、愛されないものと割り切っていたのに覚えていないなんて辛くて頭が真っ白になった。首を吊った前後のことはほとんど覚えてない。

小学生の時からメシ作ってて中高メシ作ってて、老後の世話まで見れるか!

とか思ってたのに弟はなんだか遠距離恋愛半年()の恋人結婚するらしい。

あのね、私、彼氏と逃げるとかできないんだ処女なんだ。異性と親密な仲になったことがないんだ。母がずーっと男はくそだってつぶやいてたからさ。

でもそれが原因じゃなくて私もアスペルガー症候群なんだろうかね、それで彼氏できないんかね?容姿はそんなに悪くはなかったと思うんだけどね

明らかに弟のは逃げなんだけど私は逃げられない。同居してんのあっちなのに、ずっと普通の家庭のように甘やかされてきた弟なのに

母のことは嫌いになれない。愛されたいと思っているし愛したいと思っている。でもそれ以上に自分の命は大切だ、自分が好きで嫌いになりたくない。否定されたくない。何よりもう前後もわからないほどの混乱をしたくない

離れてる期間が長いと非常に「私に対する当たりは」いい母親だけどけしてもう近くで母の面倒なんか見たくない。この先一生解決しない、さらにひどくなる人間関係を続けいていたくない

失踪したい。できないなら死にたい

2011-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20111020211916

リア充自殺未遂なんてすんの?

しかも2度も。



あと、最新記事の写真見たら表情がかなりヤバイんだけど。

あれはリア充の表情じゃない。

目が死んでる。

2011-10-05

ツイッタ 原発ノイローゼたちに喧嘩売ったらどうなるんだろう?

お前らが、変なヤギに付いてくからだろwwwww



ある教師の子殺しを書いた作家に書いた(この作家原発についてRTして返信されてたから。見つけたのはさらにそれが別の人にRTされてたから)

原発で騒ぐ奴に言いたい!お前らが変なヤギに付いてったからじゃないのか!東電に限らずに日銀だって官僚だって弁護士だって医者だってやりたい放題搾取し放題。自分に関係なかったら困らされてる人がいても放って置いたくせに

これが一番最初で上の奴の前

はじめまして大分です山川先生の子供を虐待死させた事件の小説を読んだ事もあります。ああいう事でお金儲けをされるのであれば還元は考えないんですか?私は親から20年逃げてます。正確には言っても全部妄想にされてしまう施設か


3つ目

>週刊spa強制入院。私が暴れたわけじゃないのは実家隣の人も知ってます。証言を頼んだら隣やから隣やからと。読売記者のは妄想にできないhttp://goo.gl/FCbmp



>国やエライ人やお金を引っ張ってくれる人を信じて、精神病院の事なんか見向きもせず、書いても検証もしてない確証がない段階でキチガイキチガイ言うまたは無視な人たちが、自分が危なくなったら騒いでる。昨日原発書いてた教師にブロック( された )



>うちの親は教師で管理職退職して教育委員会再就職してたそうで、そんなわけはないと思われるので、教師でよい人が居ると相対的に私の話が信じてもらいにくくなるので、変な人だった方がほっとはしますが。



>こんなにキチガイなのに。http://goo.gl/P1GMG 昨日精神医療を考える会の人には母親は優しい人とRTされました。根拠は私が書いた養護教諭を養護施設教員と間違え勝手想像を膨らませたかです



> 他にも居ますよ。親から逃げてる人。先生がたのように、放蕩の限りを尽くされた方には想像できない世界でしょうけど。想像したくもない。見たくも無い興味も無い世界でしょう。http://goo.gl/K4tPm住民票ロックなど  ( 同じロックでもエライ違いやなぁwww )


これは独り言>http://oo.gl/6khBQ 岩手マコトくんが精神病院に。 せめてこれくらいは騒ぎにならないとあれかなぁ。。。 これと同じようなものhttp://goo.gl/ShWPZここの中の効率のよい疑似科学批判は科学的態度ではなかったという部分


独>安息の地だった。山川健一氏の親が子供を殺す小説。私はあれは親子関係じゃなくて( 先生母親性交渉時逝ってない原因みたいなのを匂わす記述も ) あの名前の人を殺したくて殺したんじゃないかと。親が子に同じ名前付けて若い頃自殺未遂。人を殺したい変な人と家族になったって事ではないか


独>ストレスものすごく溜まったり、何か抑圧があったりすると、人を殺したい気持ちになる人も居るのではないかと。殺したくてもできないから、普通は抑圧されたり他に転化されたりするが、中には実行力ある人もいるのではないか?何十年か前に自分を殺そうとしてやめて、その事と何の関係があるのか


独>続き知らないけど、子供に同じ名前付けて、それで殺してしまった。青年期の人の心理で親殺しっていうのがあるらしいけど、( それも、とんでも分析何とかかも )親の子殺しって?青年期に自我の発達を阻害されると殺したいとか言うとか、本当か嘘か知らないけど河合


独> 河合隼雄か何かの本で読んだ。それをカウンセリングで口にしてもそれほど怖がる必要はない、正常な自我の発達過程にあるのだからとか、何とか。でも、10万人に一人くらい本当に殺す人がいたらどうなるのかな?とも思ったけど。親の子殺しはどういう心理?異常心理?


独>安息の地色々書いてあったけど、先に殺したい気持ちやエネルギー?みたいなものがあって、たまたまそこに子供が居たからじゃないのだろうか?それまでの育て方で暴れるとか何とかあったとしてもそれはそう持っていかれている。離れれば良かったんじゃないのかな?


独>あの子供も逃げればよかったんじゃないかな?だいたい同じ名前というのがおかしい。自分自我子供自我にするみたいで、子供自我を殺している。そして今度は本当に殺した。ああいう事でお金儲けするなら還元もしてほしい。子供利権にならないか圧力団体が無


上に書いてた作家に>検索しました。安息の地でした。ああいう事でお金儲けするなら還元もして下さい。子供利権にならないので圧力団体が無いので、このスレの人も公団UR保証人無しで入れるとか生々しい情報のやり取りをしつつ助け合いも無く行政に働きかけようと言っても盛り上が


> このスレとはこれですhttp://alfalfalfa.com/archives/14943…さっきも貼りました。男女間DVは女が利権になるから助けるのに


独>山川氏に、安息の地のような小説お金儲けするなら、還元してと書いたけど、変な人なんていっぱいいるだろうから、変な人って目で見られるんだろうな


氏へ>いきなりたくさんすみませんでした。もういいです

氏へ>ブロックときましたから、安心して下さい。




独>作家作家表現してるだけだからなぁ   表現の自由はあるし、現実を持ち込むのは野暮というものなのかもしれない。究極のオナりだからなぁ。ネタや素材にされる方はいい気がしない。

(今は訂正しましたが、これは独白で氏に送ってません、書き間違えて氏へとしてました)

2011-09-20

アダルトチルドレン業者の酷さと自己啓発セミナーの酷さ

http://goo.gl/5Qnzg  自己啓発セミナー 自己否定 内省強要  の検索



http://goo.gl/kI9qO ACの定義の酷さ 会社が行かせる自己啓発セミナー の検索



http://goo.gl/ylcyO  AC 特徴 の検索結果一覧


http://goo.gl/dfA2j  アダルトチルドレン 特徴 検索結果一覧


特殊な人だから、決め付けてよいのだろうか?普通の人にあなたはこういう人でこのような特徴があります、といささか失礼な人間観察を含めた洞察を語ったら、ふざけるな!で終わる。脛に傷持つ身の人は、気になったり、真に受けたりするのではないだろうか?

はてなキーワードの、ACはAC業者への懐疑が書かれていたが、wikipediaでも業者丸写しの部分がほとんど。


無条件の受容より、ただほど高いものは無い!!と覚えておいた方が生きやすいかもしれないのにw

生き辛さという言葉意味がわからなかった。それぞれの精神的な症状を総合して生き辛さという言葉で現すのは、生きるという事を卑屈で矮小ものとしているとも言えると思った。色々な生き方があるのに、生きるという事を一面的に動物的に捉えすぎである。生き辛さを言うAC業者が生きることとして定義しているほとんどの事は、”しなくても良い事”なのである。しても良いけどしなくても良い事、それなのに、しなくてはいけないと思っている人がいる、またはしなくてはいけないことと思わせられた人が居る。それにつけこんで、あなたの生き辛さをわかってあげますよ~ 一緒に努力していきましょうねぇ~ 一緒に”治療”して行きましょうねぇ~ などと持っていくのではないか



いや、そうじゃない、生き辛さというのは、昔のつらかった記憶が絶えずフラッシュバックして来る状態だ、とか かまってもらえないと自殺未遂してしまう、とか その他色々を挙げる人もいるだろう。

そういう状態があるのは、否定しない。だから、それは、昔のつらかった記憶が絶えずフラッシュバックしてくる状態、であったり、かまってくれる人がいないと自殺未遂してしまう状態、であったりするのではないのか?

なぜ、そこで生き辛さという言葉を出すのだ?!充てはめるのだ?!

極端な話、生きなくてはいけない、事はない。 生きてる人は、生きなくてはいけないと思っていきてはいない。生きたいから生きている。






http://anond.hatelabo.jp/20110919235051

2011-09-12

一人前の社会人なら

くらい経験して当たり前だよね。

それを理由に退職したら周囲から自己責任」と言われるくらいの

経験をしないとたくましくなれないよね。

2011-08-30

虐めの思い出

中学三年の時の友達グループ

あいつうぜーわ」

「みんなで一斉に無視しようぜ(笑)

標的、最初は「なに無視してんだよ~」と笑ってたが、徐々に無表情になる

休みに爆発、「なんだお前らふざけんだよ!」「こんな事して楽しいのかよ!ああ!?

誰かがぽつり「だっておめーうぜーし」

沈黙、「は?」「耳遠いの?馬鹿」、喧嘩勃発、かと思いきや標的をうざいと思ってた奴等が加わって一方的なリンチ

調子こいてんな!」「てめー前からうざかったんだよ!」「死ね!」「きめーんだよ!」

教師登場、関係者相談室などに集められる、全員で示し合わせて標的がいかにうざかったかを教師に話す

一方的にボコったことは咎められたが、標的は教師にも目をつけらていた問題児だったのでちょっぴり配慮

標的、四面楚歌になり次の日から学校に来なくなる

一ヵ月後、標的が自殺未遂を起こしたという噂が伝わり、ぜんいん爆笑

更に三ヵ月後、標的がとうとう自殺

標的の存在を思い出し、一同笑う、「んなやつもいたなぁ」「ようやく死んだか」「ざまぁみろ」「調子こいてっからだよ」

ニヤニヤ笑いながら線香をあげにいく

しばらくして標的の遺書発見クラスメイト名前が書かれていた

クラスメイトが一斉に青ざめる

「いや俺・・・そんなに殴ってねぇし」「言い出したのはてめーだろうが!」擦り付けあいの開始

標的の家族学校を訴える、大問題に発展、近隣一帯に知れ渡る

クラスメイト同士の諍いが何度も起こる、ある男子椅子でぶん殴られて病院送りになる

幸いにも俺の名前は書かれてなかったが、怖くなったので学校に行くのが嫌になる

家族にもバレて会議が発生、「本当なの?」母親に問われて白を切っていると父親に殴られる、喧嘩になる、家族との関係悪化

学校と標的の家族の争いが加熱、クラスの雰囲気が最悪になる、登校拒否が相次ぐ

虐めを見過ごしていたとして担任教師に攻撃が集中、担任学校に来なくなる

ついに最初に「あいつ無視しようぜ」と言い出した奴に攻撃が加えられる

クラスメイトの溜まりに溜まった鬱憤の標的にされたのであっという間に病院沙汰になる

なぜか俺も標的になる、箒の一撃を避けようとして指の骨が折れる

俺も段々と死にたくなり、陰々鬱々としてるとグッドなタイミングで父親の転勤話が持ち上がる

嬉々として飛びつき、転校する事にする

クラスメイトから「てめー逃げんじゃねーよ」と言われるが、無視する

当事者の一人だったので色々と面倒な事になりそうだったが、指を折られていたので被害者の顔をして逃走

クラスメイト達との連絡を一切たち、新しい土地過去を忘れて生活を送る

十年ぐらい経って、東京で偶然、かつてのクラスメイトに合う

懐かしかったので話す、「あの後どうなった?」

あいつの家族慰謝料みたいなん少し貰って、あとはみんなどっかに進学してったわ」

地元じゃタブーみたいになってるし、あの学校じゃ口に出すだけでも怒られるらしいわ」

一応決着みたいなのはついたんだなぁと思っていると、「・・・お前はどう思ってる?」と聞かれる

「どうって?」「いや・・・俺、今でもたまに夢に見たりするし、嫌な記憶だなぁって」

「後悔してるわ。あんな事しなきゃよかった」

俺は考えて、言う

「多少の罪悪感はあるけど、あれは元はといえば標的が悪かったんだし、もうずっと昔の事だから、今更どうとも思わない」

相手は少し黙ったあと、「そういうもんかな」と言う

別れ際、「別のやつともたまに話したりするんだけど、やっぱり皆、あの事を後悔してたりするんだよな」

俺は苛ついたので言う、「だったら最初からあんな事しなきゃよかったじゃねーか」

「だよな・・・」と言って背中を向ける

今さら、10年も前のことを思い出したくもないけど、最近よく思い出すようになる

というのも職場で俺が軽くハブられるようになったからだ

確かに、これは気分が良くないな

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2011-07-07

気の持ちよう

心療内科に行っても治らない。

イライラしたとき用で薬をもらったが、一錠飲んだだけでは良くならないことにイライラして、あるだけ飲んでしまう。

お金はかかるし、こういうのは面倒なので薬は出さないことにしてもらった。

そもそも不眠などの症状はないので、行く必要がない。自分性格の問題なので、自分で何とかするしかない。

薬にサポートしてもらう、という考え方もあるのだろうが、うまく飲めない。誰かしっかりした人に薬の管理を頼まなくてはいけない。

以前はカウンセリングも受けていたが効果はない。何を話せばいいのかわからないし、結局は自分の問題だ。

心療内科に通い始めたのは自殺未遂を起こした私を心配した母のすすめだった。

さっぱりと人生を終わらせるつもりだったのだが、失敗し、今もまだ怠惰に生きてしまっている。

親は自殺未遂をしたのは病気のせいだと思いたいらしく診断を欲しているが、私は病気ではない。だから診断はない。薬もいらない。

死のうとするほどに悩んでいるなら相談すればいいと言われたが、私の気の持ち方の問題で、相談することはない。


一人で処理すべきことが一人で処理できない欠陥人間になってしまった。

それが情けなく悲しく死にたい

いつもここに落ち着いてしまう…。

2011-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20110624194400

幻想だね

学校に言ってもクラスを替えてくれるでもなし、相手を転校させてくれるでもなし

いじめ親は「子どものやることだから」「学校におまかせ」自分のしつけは棚上げ

いじめられっ子泣き寝入りで、「やりかえすのも悪い」と洗脳されているタイプ

いずれメンヘルになってひきこもりニートリスカ廃人非コミュ自殺街道まっしぐら

関の山

そして壊れた子ども達の末路を見たことがあるかい

卒業して新しい学校に移っても、他人に対する恐怖でクラスの中にいることさえ

耐えられなくなってしまった子ども

リストカット飛び降り自殺未遂を何度も繰り返す子ども

魂が壊れた人に「加害者人格の尊重」とか「加害者にワンモアチャンスを」とか

とても言えない

加害者には壊れた人の我慢と泣き寝入りを踏み台にした明るい未来があって、心が壊れた人には

暗い未来しかない

そういう状況から救われる心が壊れた人は周囲と運に恵まれた人だけ

私、彼らに「人を憎むな」とはとても言えない

今回のケースでいえば、加害者自身達最初からいじめ動画取る目的撮影して動画の中で名前を呼び合ってて

動画サイトにあげたのだからその責任自分達で被るべき

いじめられた子の顔はモザイクかけても、加害者自身達の顔は加工してまで保護すべきではない

未成年がどうのこうのいおうが被害者ネット動画にあげて笑い者にしたのは彼ら自身なのだから

加害者達の転校」or「皆で丸坊主&顔出し動画UPで一斉に謝る」が相応

全国のいじめられっ子はあの「いじめ動画」見て

集団でここまでされても学校は「悪ふざけ」で済まそうとしてしまうことに絶望したと思うよ

学校は助けてくれないって

2011-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20110615174344

自殺未遂者については女性の方が男性より多いって統計はある。

http://www.health-issue.jp/suicide/

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2008/html/honpen/part1/s1_1_14.html

女性男性に比べて遺体が「きれい」な状態の死に方をなるべく選ぼうとするので、首吊りとか飛び降りを選ぶ割合が少なくて薬物を選ぶ割合が高い。ただ、通常は致死にいたる薬物はなかなか入手できない。

中国農村部女性の既遂率が高いのは致死性の高い農薬比較的容易に入手できるから

同じく女性医師の既遂率は高い。

http://med-legend.com/mt/archives/2005/06/post_584.html

http://anond.hatelabo.jp/20110615042311

ちょろっと統計見ると、日本における男性自殺者の自殺手段は約70%が首吊り

また、刃物による自殺者は「その他」に分類されていて、「その他」の割合は5%程度。

なので、刃物による自殺者は5%以下。



で、男の方が女より体力的に自殺に成功しやすい。

(略)

自殺なんて大抵は衝動的にやるものだし、その場合手っ取り早く手首切ったり腹刺したりする訳だが

それでは女の力ではまず死ねないけど、男だと本当に死んでしまう事があるんだよ。



から増田のこの主張は不適当。もしも男性自殺者が女性より格段に多い理由が、

男性刃物による自殺なら、男性刃物による自殺者がもっと多いはず。



(念のため書いとくと、ここで言う「自殺者」は自殺成功者意味自殺未遂者は含んでません。)

http://anond.hatelabo.jp/20110615004939

だーかーらーさー。

自殺率」ってのは「自殺成功率」であって自殺に失敗した人は入らない。

で、男の方が女より体力的に自殺に成功しやすい。

っつーだけだよ。

から世界中どの国も男の方が自殺率が高いし、自殺未遂者(=自殺失敗者)は女が多い。

自殺なんて大抵は衝動的にやるものだし、その場合手っ取り早く手首切ったり腹刺したりする訳だが

それでは女の力ではまず死ねないけど、男だと本当に死んでしまう事があるんだよ。

2011-04-17

うつ病患者から見た東日本大震災

3月11日

僕が欝で仕事休職してちょうど4ヶ月目にあたる日。



テレビから東北地震が起きたことはわかった。

でも建物がいくつか崩れ、道路が崩れるくらいで半年もすれば元に戻るんだろうなと思っていた。

でも、テレビを見ているうちに、どんどん状況が悪くなっていき、多くの建物や車が津波に流された。



その映像を見ている自分の顔が鏡に映ったとき、僕の顔は笑っていた。

心ではざまーみろという気持ちしかわかず、可哀想なんていう気持ちは微塵もなかった。



黙って何も喋らずにいることが唯一の自己表現になっていた自分にとって、

今回の震災は何よりの薬だったのかもしれない。



物資も届かないまま、死んでいく住人たちの姿を見るのが本当に楽しかった。

テレビをつけるたびに状況が悪くなる原子力発電所の状況、

汚染された土地農家や、汚染水が海に放出された漁師家族行方不明人間たち、

気がつけばこの人たちのなんとも形容し難い顔を笑いながら眺めるのが日課になっていた。



増田に被災した兄とのやりとりを記したエントリがあったけれど、

あのお兄さんの気持ちはうつ病患者の気持ちを端的に表しているような気がする。

特に、他人から何らかの攻撃を受けて鬱になった人間にとっては。



責める気力もなく仕事を辞め、自分をひたすら責めて自殺未遂した

本当なら殺してやりたいくらい憎いけれど、何もできない。

そんな自分の状況に、今の被災者の人の気持ちは近いんだと思う。



東北にもたくさん鬱の患者はいると思う。

今回の震災自分を鬱に追い込んだ人間が死んだ人もたくさんいるはずだ。

鬱の辛さは簡単には他人に理解してもらえない。

反論や攻撃する気力もなく命を絶った人もたくさんいるだろう。

少なくとも、今回の震災から僕は他の人とは違う形で元気を貰ったのは間違いない。

3月11日

僕が欝で仕事休職してちょうど4ヶ月目にあたる日。

テレビから東北地震が起きたことはわかった。

でも建物がいくつか崩れ、道路が崩れるくらいで半年もすれば元に戻るんだろうなと思っていた。

でも、テレビを見ているうちに、どんどん状況が悪くなっていき、多くの建物や車が津波に流された。

その映像を見ている自分の顔が鏡に映ったとき、僕の顔は笑っていた。

心ではざまーみろという気持ちしかわかず、可哀想なんていう気持ちは微塵もなかった。

黙って何も喋らずにいることが唯一の自己表現になっていた自分にとって、

今回の震災は何よりの薬だったのかもしれない。

物資も届かないまま、死んでいく住人たちの姿を見るのが本当に楽しかった。

テレビをつけるたびに状況が悪くなる原子力発電所の状況、

汚染された土地農家や、汚染水が海に放出された漁師家族行方不明人間たち、

気がつけばこの人たちのなんとも形容し難い顔を笑いながら眺めるのが日課になっていた。

増田に被災した兄とのやりとりを記したエントリがあったけれど、

あのお兄さんの気持ちはうつ病患者の気持ちを端的に表しているような気がする。

特に、他人から何らかの攻撃を受けて鬱になった人間にとっては。

責める気力もなく仕事を辞め、自分をひたすら責めて自殺未遂した

本当なら殺してやりたいくらい憎いけれど、何もできない。

そんな自分の状況に、今の被災者の人の気持ちは近いんだと思う。

東北にもたくさん鬱の患者はいると思う。

今回の震災自分を鬱に追い込んだ人間が死んだ人もたくさんいるはずだ。

鬱の辛さは簡単には他人に理解してもらえない。

反論や攻撃する気力もなく命を絶った人もたくさんいるだろう。

少なくとも、今回の震災から僕は他の人とは違う形で元気を貰ったのは間違いない。

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