2009-04-24

親に愛されなかった(かもしれない)イエス・キリスト

先日見た舞台パンフレットで

キリストの処刑を見守りながらただ涙を流すだけだったマリアは冷たい。

母親なら自分で身代わりになっても止めようとするのではないか」という趣旨記述があった。

無茶を言うなぁと思いながらも、どこか説得力を感じたのは

イエス子供の時、神殿神童ぶりを発揮しているのを見て

マリア違和感を覚えた(大意)』といったエピソードを思い出したからだ。

(詳しくは各自がどっかで確認するように;ルカ記2章41節あたりから)

ヨセフにしてみれば、自分子供ではないことがはっきりしているし、

血を分けた子は他にも沢山いるとなれば、そちらに感情移入もしてしまうだろう。

そして唯一つながりを持つマリアまで、こんな状態だとしたら

イエス・キリスト少年時代は、親の愛情に満たされていたとは

とても言えない状態だったのかもしれない。

だとしたら、真綿にくるまれて育った幸福王子釈迦とは

実に対照的なのだが、

どうして二人とも、同じようなルートを歩むことになったのやら。

  • 一点の曇りもない理想の愛ではなかったというだけで、愛されなかったと言うのはなんか違うと思った。というか大多数の親にとって、自分の子供に違和感持つ瞬間くらい普通にあるだ...

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