──1回目は、ただひたすら圧倒されるだけだった。
「同人誌」という物の存在は知っていたけれど、その売り手と買い手がこれほど大量に集まっている場に立つのは生まれて初めてだった。カタログの見方も判らず、館内をどう移動すればいいかも判らず、どこで何が売っているかも判らず、何を買えばよいかすら判らず。
殺気だった人混みをふらふらと彷徨する中で、大好きだったラノベの絵師の同人誌を1冊と、熱気に浮かされて適当な男性向けエロ同人を幾つか買った。
──2回目は、判断を停止して買いあさるだけだった。
前回の経験から館内の移動ルートをそれなりに把握し、どこでどんな傾向の本が売られているかをカタログから把握する術も身につけた。
目当てのジャンルへとひた走り、目に付く物を片っ端から買った。そこに善し悪しの判断や、自分の好みと合致するかどうかの考慮なんて物は全くなかった。
──3回目は、相手の都合も考えず一方的に話しかけるだけだった。
ネット上で見た事のある人たちがたくさんサークル参加していると言う事に今更気づき、彼らのブースを回った。向こうがこちらを知っているかどうかなどおかまいなし、ネット上の憧れの存在が目の前にいると言うだけで興奮し、親しげに話しかけていた。
このとき、俺は初めて、「ただの売り子」でなく、人格と思考を持った存在としてサークル参加者たちを認識したのだと思う。
──4回目は、裏側から見られる事を無邪気に喜んでいるだけだった。
サイトで描いていたものがその筋では有名な某サークルの目にとまり、ゲスト原稿として参加させてもらうことになった。その縁で売り子を手伝う事になり、生まれて初めてサークル参加をした。
スムーズな入場。机と椅子が見渡す限り並ぶ空虚なホール内の風景。開場前行列の人混み。サークル参加者同士の、新刊の交換を媒介にした社交。
全てが初めて体験する物で、自分がこれまでの3回で見ていたものの裏側を垣間見ている事に、たとえようもない興奮を覚えていた。
──5回目は、ただの歯車だった。
自分では何も描かなかったけれど、前回の縁で同じサークルの売り子を手伝う事になった。壁サークルへとステップアップしたそこでの業務の苛烈さは、俺をただ金を受け取り本を差し出す機械にした。
溢れる客をさばき、大量の新刊を完売させた瞬間の達成感は素晴らしかった。だがそれと同時に、自分はただの手伝い、交換可能な歯車で、この本達は自分が居なくともきっと売れただろうという事も痛烈に感じていた。
──そして、6回目。
家のプリンターで印刷した手折りのコピー本を数十部。折った紙にマジックで書いた「新刊 ¥○○○」の文字。ドローソフトと格闘し、何とか作ったロゴ入り看板。
売り子として手伝ってもらう友人もなく、俺はただ一人自分のスペースに、それらを並べて開場を待つ。
今ここでこうしているのが、1回目の頃から決まっていた運命のように感じながら。
「ただ今より、コミックマーケット75を開催いたします……」
何故かはわからないが目から生理食塩水が溢れた 似た境遇を覚えたからだろうか