2008-11-07

祖父の言葉

祖父は志願して海軍に居た人で、戦後は某紡績会社で働き、幾つもの特許をとったらしい。

紡績会社退職してからは、祖母と一緒にロッジ管理人などをしながら働き続けたが、祖母が亡くなった後は庭いじりをしたり、図書館に通って軍関係の本や戦争被害の本を読み漁っていた。

そんな祖父が居なくなってから数年が経つ。居なくなってすぐに、乗っていた車は事故と思われる状態で見つかったけど、本人は見つかっていない。行方不明という処理になるらしい。きちんと葬ることが出来るまでにはまだ間がある。

そんな中、祖父からの手紙が出てきた。もらった時は読み流しただけだったけど、今読んでみると、それこそ遺言のように感じて身が引き締まった。おかしなところもそのままに転記してみる。

故里は遠きにありて想うもの

交通の便が至極よくなった現代では通用しないのではと思いながらも書いてみた。増田其の後大変御無さた御免。元気で頑張っているものと想います。○○((増田地元))と京都では寸時にして帰れる大変便利になったものだと感心させられるもの。増田君も就職以来早や一年過ぎたことになりますね。君の成長を誰よりも楽しみにしていたおばあちゃんも草葉の陰でさぞ喜んでいるものと推察しております。

日本の将来を背負って立つ若者である全力投球して下さい。お父さんも、お母さんも何時の間にか半世紀を生き抜いた人生の大ベテランになりました。したがってどの角度から見ても増田達の出番です。年間を通じて今が一番の好季節 日本一の観光都市京都 シーズン中は大変な混雑でしょうね。さて増田君も社会人として二年生になりましたね。学校で又は職場での諸先輩から学んだことを頭におき力を精一杯に発揮してほしいものです。皆様の期待に背かぬよう一個の人間として身立をし志と品格を持って生きてほしい願うのみです。

言うまでもないことだが職に就くと言うことは単に給料を頂いて生活を立てるというだけではなく社会的責任を担うことであります。自分に与えられた仕事は天職だと信じ誠実に果たし、その仕事を選んだ目的に一歩づつ近づいて下さい。そのためには常時想像力と創造力を磨いてほしいと思います。何事も常に疑問を抱き新しいやり方を試みる それによって自分も社会進歩するのではないかと思います。

又常時相手の身になって考えるということです。人は自分だけでは生きていけないもの。家庭も職場社会も助け合ってこそ成り立っていくというもの。相手の立場になればその人の痛みや見えないものが見えてくるもの。

増田君達の舞台日本ではなく世界です。一にも二にも頑張って下さい。今も昔も通用する言葉に若い時の苦労は買ってでもせよとは良く言はれたもの。何だか説教じみた文面もあったようだが要は健康留意して無理のない程度に頑張って下さることを願うのみ。無学な爺が書くこと 誤字脱字も多々あることと思うが そこは頭のよさで判読して下さい。今夜は何だか増田の事が頭に浮かんできたので一寸書いてみた。

増田君へ  ○○の爺

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