2007-12-30

そろそろ例のいじめについて一言いっておくか

まずいじめっこの彼は、普段なぜだか偉そうに振舞ってはいるが、醸し出したがってる雰囲気ほどモテてはいないだろうなと想像している。周囲のはてなムラの女性たちも、温かい目で見守ってあげている印象だ。どん仕事をしているのかは全く知らないが、最低限は自分のアタマで物事を考えてるだろうし、抽象的な思考でもって現実解を導き出すくらいの有能さはあるのだろう。ただしかし、独創的なアイデアを駆使してビジネスを開拓していくというよりは、それこそ彼が普段からやっているように、先人の知恵を活かして、先人の知恵を持っていない・自分の頭で物事を考えられる能力が欠けている人たちに助言を与えるくらいの業務なんだろうな、などと想像している。例えば“日本を代表する”メーカーの若手幹部候補ってわけでもないだろうし(というのは非現実的な空間における社交のようなものを知ってる気配が感じられない)、百貨店で“すごく快適に”買い物ができる立場でもないだろう。もしかしたら、“トップクラス”な人間たちが、何故、ブランド名の入ったカバンを持ち歩いてないのか、などといった、そういうことすらも知らないかもしれない。・・・、いや、こんなことは根拠も無い印象にすぎないのだが、ともかく、ああいったタイプの偉そうな発言を繰り返す種別の人間というのは居て、それはきっと自由に恋愛ができるようなタイプではないのであろうと、経験からは想像してしまう。

で、いじめられっこ、こっちもそりゃ問題というか、もてないもてないなどというのはあまりネタにできる話ではなくて、コミュニケーション能力というのは読み書きそろばんと同様に社会生活における根幹のスキルなのだから、「俺、九九できないんだよね」と公言しているのと同様の恥ずかしさがあることを、もっと皆が感じ取らなければ日本は本当に危機的状態に陥ってしまうだろう。友情的な交流や恋愛教科書書店に行けばいくらでも売っているではないか。なぜ手にとって真剣に読んでみないのか。「痛い」と思うからなのか。昨今はセックス教科書日本ですらベストセラーになっていて、しかし悲しいのだが、私の周りであの種の本をきちんと読んでいるのは、ほぼ例外なく、既に結婚して良好な夫婦関係を築いているとか、“自由”に恋愛をしているような人種なのである。どうして、自分の現状を問題意識を持って分析し、その解決策になりうる可能性が少しでもある方法を実践して見ないのか。きっとこのあたりの精神性が、自分の頭で考えるか考えないかを区別するのだろう。

ではどんな問題が彼を結果的にいじめっこに仕立て上げてしまったかというと、きっと、自分の頭で考えられる能力を得てしまって、その副作用として、日常的に他人の頭で考える能力を忘れてしまったからというのがひとつの解答になるだろう。他人の頭というのは、相手がどう考えるかということに限らず、周囲の人間や一般的な“常識”に即したときに、「この行為は果たして「痛い」と呼ばれるものでないか」、というような要件における感覚のことである。自分のことや、ごく近辺の問題解決において、自分の頭だけで考えた行為を実践するのは勝手であるし、私個人の意見ではそのような行動様式は自らを大きく成長させる。が、“他人”に付随する事柄については他人の頭を優先することが好ましいであろう。コンサルタントとして契約して付き合うのであれば、勇気を持って、他人の問題の解決のために自分の頭のみを用いて驀進することも時には求められるであろうが、大きなお世話なお節介を一方的に押し付ける際には、たとえ自分の想像力を自分の頭の中でフルに活用したとしても、他人が見たときにそれを成功であると認められるような成果は発生し難いのである。たまにこういった様式をもってしての成功例が注目されることがあるが、確率で考えたときに、きっと彼は、あまり効率のよいやり方ではないと、彼の自分の頭で考えたときに思い知るであろう。要するに、自分の頭を片手間にしか使っていなかったのだ。考え抜いた上で行動していれば、あのような虚しい空転は避けられたはずである。

別に誰かの人間性を非難するつもりはないし、私がここにこんな記事を投稿する必然性も無い。この記事に関して言えば、私は頭を使って書いていないし、昨今「実名と顕名と匿名」などというテーマが盛り上がるのを見ていて、すこしばかりケーススタディをひとつ増やしてみたかった、くらいの言い訳しか持っていない。ただ、わたくしの正義の話であるが、お節介は十分な信頼を得ていることを客観的にも認めた場合にのみ、お互いが傷つくことを理解したうえで行うことであると考えるべきであろう、ということだけ主張しておきたい。

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