2007-11-10

非モテは現代のエタ・非人だ

欲望のカースト制という見えない構造がある。

美人セックスしたい。たくさんの異性とセックスしたい。

そのために見た目、性格、コミュニケーション能力をより良いものにし、お金を増やさなければならない。

うまい飯は安くで手に入るけど、いい女は簡単には食えない。

「食欲」「性欲」という人間の二大欲望のうち、「性欲」が多くの人の幸福あるいは不幸と直結しているのは、飽食の現代日本人にとって必然なんだろう。

欲望のカースト制の上位には美男美女が楽しく集う芸能界があって、広告代理店が性欲を中心とした消費欲をあおる。

「消費しなければ幸福にはなれない」というメッセージが飛び交い、スポンサーの商品が売れる。市場経済が回る。

自分はあまり幸福ではないと感じている人は、ネット上にあるルサンチマン爆発の非モテな文章を読んで「下には下がいる」と安心し癒される。

そして次の日にはまた「いつか自分もいい女とセックスしたいな」と思う。いや、下半身がそう思う。

そして絶望する。こうして人は、非モテというカーストに対して、コミュニティ意識を持つようになる。「欲望のカースト制」というシステムはより強固になっていく。「上位カーストへの憧れ」と、「現在カーストへの帰属意識」は同じ欲望の裏表であり、両者は強く結びついているから。

そんな欲望のヒエラルキーなんか、さっさと降りてしまれえばいいのに。

欲望の種類はもっと多様だし、気持ちいいことは他にもいっぱいあるはずなのに。

一つの欲望が満たされていないからといって、他の欲望も満たされなくなる訳じゃない。

セックスしている時、同時に音楽に没頭することはできないし、うまい飯を食ってる時に排便の快楽を味わうことはできない。

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