2007-03-03

家族記憶

父の母への暴力は凄まじいものだった

殴る蹴る髪を引っ張って引きずり回す

そこらじゅうにある物をぶつける

ぎゃああという悲鳴が響いて、私はたまらず耳を押さえたけれど

そんなことでは到底音は塞げるものではなくって

だから近くにあったコタツに潜りこんだりした

母は包丁を毎日違う場所に隠した

でないと殺されると思ったのだと思う

父が居ないときを見計らってぐるぐると何重にも新聞紙で巻いて

引き出しの中や食器棚の中に隠していた

それでも家中に武器はあるから

だから母の顔や体にはいつも痣があった

それでも母は決して泣いたりしなかった

いつも明るく冗談を言ったり、私の宿題を見てくれたりした

ごはんも毎日美味しかったし

授業参観の日には誰のお母さんよりも早く教室に来て元気に手を振ったりした

それは少し恥ずかしかったけれど、ちょっとだけ誇らしかった記憶がある

父の毎晩の暴力なんて微塵も感じさせない強さがあった

私が大人になって1人暮らしを始めて、その頃には父も母もすっかり年をとっていた

たま実家に帰ると母は

「おとうさんもすっかり最近はおとなしくなったよ」

と笑っていたから私はすっかり信じ込んでしまっていた

母の強さを忘れていた

ある日、実家に帰ると母が怪我をしていた

そして部屋の箪笥がへこんでいた

母は何も言わなかったけれど、私は全てを理解した

それから頻繁に実家に顔を出すようになって、ついに父がまた暴れた

私は大人だから、今日こそ言ってやろうと思ったら

何故だか分からないけど泣けてきた

子供みたいにわんわんないて

それでも心の中で言わなきゃ言わなきゃと思った

「お父さんいい加減にしてよ!」

「いい大人がみっともない!」

「お母さんになんてことするの!」

頭の中で父への罵倒がぐるぐる回って、なんとか言わなければと振り絞って

ついに口から出した言葉に自分でも驚いた

「お父さん、お母さん、仲良くしてよ…」

父を責めるとか、母を守るとか

そういうことじゃなくって

ただみんなが仲良く笑っている所を見たかったんだなぁと始めて気づいて

私はまた泣いた

その時始めて母が泣いた

父はバツの悪そうな顔をして、それからちょっと泣いた

部屋に戻ってまた3人で泣いた

思い思いのことをそれぞれが話して

私の知らなかったことも知って

みんな苦しんでいたことを理解して

父も母も私も、始めて家族意味を考えた

私の家族記憶が少し変化して、少し家の空気が綺麗になった気がした

  • http://anond.hatelabo.jp/20070303005527 そこまで母親に暴力を振るっている父親を見ていながら、「仲良くして」という欲求を出せること、そしてその請求が受け入れられて物事が収束に向かって...

  • 泣いてしまった。 たまにこういうのがあるから、増田に来てしまうのだよ。 名前が分からなくても、これを書いた人のことを全然知らなくても、それでも言葉によって感情が伝わり、涙...

  • それを不健全と思うのか。 人と人の間の感覚の違いだろうが、深い断絶を感じる。 私は不健全とは思わない。 http://anond.hatelabo.jp/20070303005527 の人が 両親に向かって仲良くしてと言えた...

  • お父さんはたぶん弱い人なのだろう。 そしてその弱さが自分でも嫌で嫌でしょうがない。 「いいんだよ、それで」と受け止めてくれる人がほしいんだと思う。 そして「おれって弱いんだ...

  • http://anond.hatelabo.jp/20070303005527 絶対暴力は収まっていないと思う。 お母さんは共依存。 御本人はAC。 これで許してたらDVはなくならない。

  • 家族の記憶 別のトラックバックやブクマコメントにもあるけど、これだけじゃ暴力は収まんないと思う。 でも別にいいじゃん。状況が悪くなるわけじゃないし。たぶんすこしは状況も...

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