はてなキーワード: テコンダー朴とは
そんな声がどこからか聞こえたが、俺が知っている中で最も同和の話に近いのが一時期ネットを折檻した韓国人優遇の話なのだから仕方ない。
結局のところ、あの頃散々叩かれた「ごくごく一部のやたら優遇されている韓国人Ⅱ世Ⅲ世」というのは、同和の一種だったのだろう。
戦後のゴタゴタなどで韓国人を差別してきた歴史を持つ地域に深く関わる行政が、差別主義者としての自分たちの状況を小手先で誤魔化そうとし続けてズブズブの関係になっていったわけだ。
なるほど、ネトウヨとして暴走し大学や親や初めて入った職場で煙たがられながらも必死に勉強し続けた知識が今になってようやく役にたった。
利権を一度認めると、「利権を一度認めてしまった」という情報を世間から隠すためにずっと利権を認め続けることになる。
これが民間企業だとふとした業績の悪化によって「これ以上は耐えられない!」と吹っ切れることもあるし、倒産と共に膿が一気に地域一帯へと流れ出すこともある。
だがこれが公共となると中々倒れない。
何よりもそういった利権を黙認するかしないかの判断が自分たちの利益に一切影響しないという役人の立場が「とりあえず面倒臭くなさそうな方向で」というインセンティブを強く働かせるわけだ。
結果的に日本中に同和優遇・外国人優遇を始めとした様々な「元被差別階級」に対する優遇措置が行われ続けるわけだ。
恐ろしいな。
フェミニストもどきの連中がい前も何度も新たなルートで繰り返している恐喝と全く同じやり方だ。
何千年前に生み出されたのか知らんが、全く持って人類に寄生するのによくできた方式だと思う。
根絶やしにする方法があるとすれば、優遇措置をしてしまった人間を捌きすぎないことだろう。
だがそうなると今度は裏で繋がりを持ったままにして利益を折半してチャンチャンとなりかねないわけだ。
難しい。
不思議だ。
それが確定で分かる描写は作中に一切ない。
それなのに我々の多くが「嫌韓流は本気で韓国アンチを正しい行為だと思ってやっているガチ嫌韓だが、テコンダー朴は韓国アンチと韓国を同時に馬鹿にしている全方位冷笑型である」だと感じている。(「察している」と書きそうになったほどだが、察しているという表現は少なくとも自分の中でその内容が正解であることが99%確定しているような状況で使うべきなので、この状況にはふさわしくないと思い、「感じている」とした。)
不思議だ。
作中の人物は誰もが本気でその瞬間瞬間を必死に生きているのに。
それなのに我々はそこにそれらが単なる冗談に過ぎない世界観を感じ取るのだ。
どこでそれを切り分けた?
謎だ。
鳥トマト先生の「歴史メンタリスト」が今週マジでキツくってぇ……ドン引きでぇ……
https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755278396123
コイツら何もやってない。
こんなことやっても無駄。
こういうのもういわ……。
昔は自分もこういうの好きだったよ。自民党とか民主党とか群馬とか韓国とかドンドン馬鹿にして楽しんでた。テコンダー朴や翔んで埼玉を読んでゲラゲラしてた。
馬鹿にするのって簡単なんだよね。簡単だからドンドン楽な方向に進んでしまう。すると物事の考えが浅くなってドンドン面白くなくなる。ネットの冷笑界隈全部が今そこに向かって流れ落ちてるように思う。
アレコレ理屈をつけて陰謀論をかますゲームとしての側面が消えていった。単に「Z世代ってウザいよな」「わかる」「ガキが舐めんな」みたいな「俺の気に食わないもの=バカ」みたいな自分たちに都合がいいだけで中身が空っぽの図式を盲信するようになってきてる感じ。自分がいる職場や町内会にも何人かこういう「俺が気に食わない=バカ」の方程式で語るおじさんおばさんがいるんだけど、本当に頭が悪くて相手してて疲れるんだよ。自分に都合がいい論理展開することに慣れきってしまうと頭の使い方がここまで駄目になるのかとゲッソリするような頭の悪さ。
「僕ピーマン嫌いだから地球からピーマンがなくなればいい」の感覚を振り回して良いのって子供だけだと思うんだよ。大きくなったら「ピーマンが好きな人もいるらしいね。僕は嫌いだけど。じゃあ全人類にとっての敵ってわけじゃないんだ。僕にとっては敵のままだけど」に変わっていくはずじゃないですか。そこに一度たどり着いたのか、たどり着いたのに戻ってきちゃったのか、「僕が嫌い=滅ぼすべき人類の敵」って価値観振り回しちゃってる大人って見てられないでしょ?
なんでもかんでも雑に馬鹿にする昨今の低レベルな冷笑文化はそれと同じになってきてるなと。確かに冷笑って根本的にスナック感覚の言葉遊びでしかないんだけど、それにしたってスナックとしての最低限の工夫や組み立てみたいのはあったわけで、今の「砂糖の瓶に指突っ込んで直に舐めると甘くて美味しい」みたいなアリや幼稚園児のレベルでのスナック感覚じゃなかったと思うんですよ。
本当もう無理。
自分はもう冷笑はいいかな。最近の冷笑はもう面白くない。ステレオタイプなイメージで雑に馬鹿にするだけとかガキの遊びにさえならないでしょ。
単に自分が飽きただけで、冷笑って最初からこうだったのかも知れない。でも昔はもっとこう複雑なパズルとしての楽しさがあった気がしたんだけどなあ。そういうのはガチの陰謀論界隈に全部吸い上げられて、陰謀論ゲームに参加する知能さえない人たちだけが純粋な冷笑の世界に残っちゃったのかな。
でもこういうのってどのジャンルでも起こりうるんだよな。あるジャンルの遊びの中でより工夫できるものはもっと複雑なことが出来る場所に行き、そうじゃない人は昔ながらの遊びに取り残されるみたいなの。トランプでいつまでもババ抜きしてる層と大富豪やセブンブリッジへと移行していく層の違いみたいな。
冷笑は根本的な構造が簡単だからそっち(皆とっくに大富豪やドミニオンとかやってるのに、いつまでもババ抜きで遊んでる人たち)の方になっちゃったのかなー。
「増田くんお風呂入ってる~~~臭いからキレイにしてあげるね~~~(バケツの水バシャー」
みたいなのが小中学校の教室で繰り広げられることがあったじゃないですか?
まあ、あの頃「コレ」をやられて傷ついた側だった僕たちは、今度はインターネットで「コレ」をやる側に回ってたりするわけですが。
鳥トマト先生の作風って究極的には「コレ」だと思うんですよね。
特定の何かを平気な顔して嘲笑い、自分たちの短絡的な笑いの種にして弄ぶ。
ただこれが純粋に悪意と嘲笑だけだと流石に自分の中の「良心回路」みたいのがピリピリ痛むわけで。
だからそこにちょっと正義感みたいのを加えることで大義名分の力でイジメ行為の臭みを取ろうとするわけです。
一時期やたら流行ったら韓国人への攻撃だったり、「フェミニストを名乗る人たち」がなんでも性加害扱いするのだったり。
鳥トマト先生はその路線を極めることで現代日本において一定数の太い読者を獲得するに至っています。
特定の「disっても許されそうななにか」を見定め、それを面白おかしく嘲笑することで楽しい時間を生み出す。
イジメっ子の時間の潰し方を漫画の中でやってみせるわけですね。
別にそれが悪いとは思いません。
だって僕らはさんざんインターネットでそれをやってきたし、そういうコンテンツはインターネットの外に置いても大好きです。
政治家をもしたキャラクターが悪し様に描かれる展開を見て楽しくキャッキャッして過ごしてきたわけですからね今日までもこれからも。
テコンダー朴みたいな露骨に特定の集団をコケにしているような漫画でやっぱり楽しくなっちゃうんですから。
でもね、そういう作品から逆流して「でも増田って本当に臭すぎるからさ、マジで不登校にしたほうが学校のためなんじゃないかな……」みたいなヒートアップの仕方をするのだけはやめてほしいんですよ。
イジメコンテンツのために振り上げた正義感を暴走させて、現実のものとして正義のもとにアレコレパンチするのを始めるのは危険すぎる。
鳥トマト先生の良くない所は、「これはあくまで漫画の中で作られたサンドバックですよ。現実の人たちを同じようにサンドバッグにしちゃダメ🙅」ってちゃんと言わない所。
それをやらずに毎回そのまま「今回のサンドバッグも気持ちよかったね~~~こういう奴ら皆嫌いでしょ~~~???イエーーーーーーイ!!!!」で終わらせちゃう所。
だから毎回コメント欄とかで「でもマジで田舎の因習、都会の軽薄さ、日本の悪しき風潮みたいのって滅びるべきだよね。ウンウン」みたいにマジメに語ろうとしちゃう人たちが出て変な流れになる。
そこまでする話じゃないでしょ。
「増田くんは臭いからキレイにしてあげようぜ~~~」は単なる『イジメとして楽しむための大義名分』であって、『真剣に取り組むべき僕らの課題』じゃないんだよ。
うおおお!これでテコンダー朴読めるぞ!