はてなキーワード: 優越感ゲームとは
ウォッチャーである自分の欲望を、ゲスな欲望だと思うんならな。
「なぜ、人はこういう勘違いをするんだろう」「このディスコミュニケーションのメカニズムはなんなんだろう」と思いながら読むと、けっこう知的冒険よ。
なに、後何年かすれば自然とその中から「俺の時代は…」で始まるテンプレ的な文句を言う懐古厨みたいなのも出てくるって。
第一ネットが普及してから知識なんて調べればいくらでも手に入るわけだし、
それでも結局「その当時の経験が無いゆとりは…」とかって前世代の優越感ゲームのために見下されるんだから
そもそも知識量で優越を競うこと自体が不毛なことだって最近では思うようになってるのかも知れんね。
作品の量も段々積み重なっているから目を通しきるのが不可能って事もあるだろうけど。
昔、「ああいう作品を読んでる奴はオサレだよなw」「サブカル臭するよなw」という目で他人とその作品を見て、自分に関しても「これを買ったら、好きだといったら、他人からどういう人と思われるか」を考えて漫画等を買っていた時期があった。
学生時だったのだが、その当時は「別にただ好きなだけだよ」「サブカルとかそういうこと考えてるわけじゃなくて単に面白いと思ったから」とかいう人を信用できず、「ケッ、そうやって「ただ好きなだけ」って言う自分ピュアでしょアピールだろw」「本当はそういう事考えて選んでるのに、俺に見破られたから「ただ好きなだけ」って取り繕ってるだけだろw」とか思っていた。
しかしある時、ネット上で、俺によく似た奴に対して誰かが(確かはてなだった)発した言葉で、いかに自分がアホらしい選び方をしているのか、他者の視線に拘りすぎているのかということにふっと気がついた。
「○○はメジャーになりすぎて、もう今更なぁw」とか「あれは好きだったがもう有名になっちまったから、今好きだなんていうと、有名になったあと飛びついたミーハーと同じに見られていやだ」とか、考えていたが、ふっとそれを捨ててみて、今この世界に俺しかいない、と考えて単に読みたい漫画、単純に好きな漫画を選ぶようにしてみたら、楽になれた気がする。最初こそまだ優越感ゲームの残滓があって、「こんなメジャーなもの好きとかいう俺ってどう見られているんだろう」とか恥ずかしさを感じたこともあったが大分慣れてきた。「俺はこれが好き。なぜならこういう点が面白いから」と自分の中で言い切れるようになってからは本当に楽になった。以前は「面白い理由」さえも、他者の目を気にしていた気がする。「このギャグが面白い」なんていうと「おいおい、そんな低レベルなギャグがかよw?」とか「キャラクターがいい」なんていうと「そんなオタ受けバリバリ狙ったような陳腐キャラがいいとかwネタ的に面白いってうなら分かるけどw」とか、そういう視線が返ってくることにどこか怯えていたのだな。
自分の人生の中でいかに自分が好きなものを読む・聞く体験ができるか、みたいなところを指標にして考えたら、他者の視線は気にならなくなった。
ただまあ、そうやって本当に好きなもんばっか集めるといかに自分が凡人だったかということを思い知らされるがw
相手の優越感を自分の優越感で内包しかえす…これが優越感ゲームか…