「手作り」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 手作りとは

2007-02-05

[]ぶぁれんたいんでえ

彼氏チョコレートをくれてやりたいのだが、超甘党で質<量だと言い切る彼奴めに対し、甘いものが苦手で質>量だと考える私は一体何をくれてやればいいのかとんと見当が付かぬ。彼奴は手作りが良いと抜かすのだが、うっかり若い命を花と散らす訳にもゆかぬ。私は料理が死ぬほど苦手だ、特に菓子方面は。扨どうしたものやら。

2007-02-04

手作りはいやかもわからんけど

本命に渡すチョコを作った。

ガナッシュは我ながらおいしかったけど

ガトーショコラの真ん中が噴火口のように盛り上がったまましぼまない!

温度の失敗かなあ…

あとで試食してみよう・・・orz

2007-02-01

いい加減に書く

もういい。僕はもう既製品を捨てる。手作りする。なんだって。

ありがたがっても何も僕にもたらしちゃくれない。

何か作ろうと思う。

最近考えていることは言葉にまとまらない。

考えているのかもわからないけど、なんていうんだろう、全部白ければいいのにみたいなそんな感じ。

数学的な美しさとでもいうか、完全なる循環とでもいうか。そういうのを考えてる。憧れてる。

時間は一つの向きに向かうけど、変わらない綺麗なものがあればいいと思う。太陽をみて落ち着ければそれで良いというような。

何もなくていい。一枚シャツを着てパンツ交互に履けば良い。毎日手洗いすれば良い。

夜だけは何も考えられないように暗幕が下りれば良い。

その中で考えても多分何も思い浮かばないだろう。一度変に染まった何かを完全に白くするのはとっても難しい。

それにこの世界にそれを置いてみたって何も変わらない。

結局僕らは人間をやめられない。

とても曖昧存在だ、ちょっとだけ腰を下ろす存在だ。それ以上には成れず。ただ生きていくほかにない。

なんでもない生き物だ。変わりゆくことにアイデンティティを持つこと自体が言葉としては矛盾している。

スタイルを持ったってそれはいつか消えてしまう。でも自分がいる間だけモテバそれで充分なのかもしれない。だからもしかしたら生き物もまた素敵な存在なのかもしれない。

僕たちは考えたり、行動したり、感じたりする。

そうすることしか出来ない。世界と対話をし、自分と対話をすることしか出来ない。

その中で出来ることは限られているように思う。案外何も出来ないもので、むつかしいものなんだなと。

僕たちに何が出来るようになるだろうか、出来ることはしつくされてしまったか。

アメーバの行動範囲がちょっと広がっただけじゃないのか、人間は。

いい加減な世界だ。人間たちはルールを作って楽しくやってる、砂上の楼閣だと思うことも出来るが、それは皆が信じればそうなるようになってるらしい。

世界はまだ人間たちに使い尽くされていないのだろうか。人間を続けた先にもまた同じようなアメーバがいる。

生き物はとてもいい加減で、いい加減さの上に立たなければいけないのかと思うとなんともいえない気分になってくる。

正直、僕には辛い。人間として生きることはいい加減さの上にわかった上で立つことなのではないかと思えるから、如何にそれが生き様だとしても。

自分自身がいい加減だと思ってしまうようになったらもう駄目なのかもしれない、何かが成り立たなくなっちゃうのかもしれない。現になってる気がする。

そうだな、僕も僕が機械だったらいいのにと思わないこともない。むしろ大有りでそれがきつい。

なんでこんな生きるために生きる生物なんかに生まれてしまったのだろう。つらい、きつい。

生きるために生きるか、僕も遺伝子から作られた機械なのかもしれないけど、一応自我をもつ生物だからな。こんなもん持ってる意味あんのかな。

見えない暗闇の中を共同で照らしつつ何かを知る。共同して何かをする。

なんと我侭な星のひかり散光か。いい加減さを生きねばならんのだろうか。

2007-01-30

おにぎり事件

自転車本屋に行って、本屋から出てきてみたら自転車のかごに「サランラップで包んだ手作りおにぎり」が一つ入ってた。

意味が分からない。

等の可能性を検討しましたが分からないのでゴミ箱に捨ててその場を立ち去りました。

昔話の登場人物は転がってきたおにぎりを平気で食ったりしますが、勇気あるなあ。いや、食えるかどうか判断できる五感がしっかりしていたということか。ここから不二家に話つなげようと思ったがやめた。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん