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2009-03-12

ちびくろサンボ

ちびくろサンボ」という絵本を知っているだろうか。定番の絵本だったのだが、差別的表現があるとして今は絶版になっている。 主人公黒人というだけで、彼らに対する差別があるようには見えないのだが、ともかくそういうことになっている。ならば、主人公の肌の色について描写を無くせば良いのではないか。「ちびサンボ」で良いではないか。

いや、「ちび」という表現もまずいのだろうか。 ならば、「サンボ」でいいや。

意味不明? ならば「ちびくろサンボ」でこの物語の内容がわかるとでもいうのか。 どっちにしても意味不明ならタイトルなんてどうでも良いだろう。

とは言え、内容に沿ったタイトルがあればそれに越したことはない。 そこで私は考えた。 「ちびくろサンボ」の新しいタイトル

ぐ る ぐ る 回 っ て バ タ ー

2008-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20080316191919

そんなにずれているだろうか。むしろ英語版のWikipediaに書かれている記述の方がすこしずれているように思える。例えば "sambo" という語の起源は「ちびくろサンボ」ではないであろうと、この本には書かれている。

ちびくろサンボ絶版を考える」

http://www.amazon.co.jp/dp/4770500874

これによると、スペイン語の "zambo"(猿)が起源ではないかというのだが、実はヒマラヤシェルパ族の人名ではないかとの指摘もある(「サンボ」の両親の「ジャンボ」「マンボ」もこの民族にはよくある名前)。

この話を考えるときには必読書と思う。この本の編著者の一人の灘本昌久氏は自身が解放同盟にいた関係差別に関する問題には広い視野をもっていて論考は鋭いと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080316175028

申し訳ないがあなたの言ってることって、「世の中に流されろ」という意味しかとれないのだが。

ちびくろサンボには黒人が出てくる訳でしょ?

だから、ちびくろサンボインドの話だと書いただろう。ちゃんと読んでくれ。

言っておくがインド人は黒人じゃないぞ。あれはむしろ白人 (Caucasian) だ。

要するに黒人とは全然関係がないんだ。本当はな。

ちなみに「クマモト」って言葉スワヒリ語では女性器のことになるわけだが、日本地図ケニアでは猥褻物になるのだろうかね?

事勿れ主義の日本企業であればごく普通の対応かと。事勿れ主義の是非はともかく。

今はその「是非」を問題にしているのであって、企業の対応の経営戦略上の巧拙を議論しているのではないんでな。

所詮大した売り上げにならない絵本だったから「自粛」したんだろう。資本主義だから仕方ない。

あのね、市場の外部から「この本は差別!」とネガティブキャンペーンが張られること自体既に市場経済の枠組みから外れてるんだけど。だいたい、市場が常に正しいなんてナイーブすぎる思想でものを言わないでほしいね。「市場の失敗」でぐぐってからものを言ってくれ。

部外者からしたら差別には見えなくても、差別されている当人からしたら差別以外の何者でもない描写というのはよくあるし。

実際のところ「ちびくろサンボ」を日本絶版にしろといったのは黒人でもなんでもない人権派活動家だったし、そもそもサンボ黒人ではなかったというはしごたん並みの過剰クリリン発動的言いがかりだったわけだが、それでも当事者の気持ちを汲めというのか?だったら君ははしごたんを擁護するということだな。

http://anond.hatelabo.jp/20080316164444

ちびくろサンボ黒人差別に繋がるとして黒人からの批判の対象になっていたのは事実だよ。

それはアメリカの話ね。アメリカで問題になったのは公民権運動の時期。日本での同和と同じで一部で暴走があったということで、そしてその暴走にも内部批判もあったわけだけどね。

それは単に、アメリカ英語で「サンボ」が黒人の別称と重なってしまってたという不幸な偶然が元になったことなんだが、実を言うと「サンボ」はイギリス人が書いたインドの話であって黒人とは関係がなく、「サンボ」という言葉インドでは差別的な意味はないわけだが。言ってみれば、ロシア格闘技サンボ」がアメリカで禁止されるような変な話になってたわけだ。ところがそういう指摘に誰も耳を貸さなかったんだな。

そういう馬鹿なことってのは起こり得るんだよ。だから俺が当局やマスゴミを信用できないというのはそういうこと。

出版社人種差別的要素を含むとされる本を出版したがらないのも大人の事情として十分理解出来る。

多くの出版社が一斉に「自粛」したことが正常なことか?

それと、「理解できる」ことと「正しい」ことは全然違う。タミフル騒動やリタリン騒動ってのがあったが、一部の活動家宗教系とも言われる)のデマ宣伝で薬が引っ込められたら死人が出るんだぜ。この一件はそれと同じ構図なんだ。

個人的には、人種差別的要素が含まれるとされる本を敢えて子供読み聞かせたいとは思わないなあ。

読んでみてから人種差別かどうか自分の頭で考えろよ。

それに、それと同じ論法を使えばあらゆる童話いちゃもんをつけられるんでな。それに、たとえば「ちびくろサンボ」は非暴力主義の象徴として稀有な童話という価値を見出す人がいても不思議ではない。一つの作品を粗末に扱う奴は、自分が大切にしてる作品が踏み躙られても文句を言えないという覚悟をすべきなんだが、それでいいんだな?俺は絶対に嫌だが。

http://anond.hatelabo.jp/20080316161419

復刊したじゃん<ちびくろサンボ

二十年近くもかかってるんだが。一世代分だぞ。どんだけの損失なんだ。

今の子供は「ちびくろサンボ」なんてほとんど知らんだろう。今後、親が読み聞かせ童話のなかに含まれる割合は圧倒的に低くなる。この童話は強烈な打撃を被ったのだ。

食文化と同じで、文化ってのは途絶えたら死ぬんだよ。

もしドラえもん絶版になったらその時初めて抗議すればいい。

その抗議が正当だと考える人が多ければ復刊するだろう。

ちびくろサンボ絶版に抗議した人はいくらでもいたし、世論絶版反対の方が明らかに強かったんだが、それでも復刊しなかったんだよ。

まだ何も起こっていない時点で「絶版するかもしれない」と言いふらしてもただの狼少年だよ。

君は言論規制というものを軽く考えすぎていると思うな。何か起こってからでは遅すぎるんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20080316155832

源氏物語は「論理的な可能性」として言っているに過ぎないが、ドラえもんテレビ放映でしずかちゃんの入浴シーンがカットされるぐらいは十分にあり得ると思う。

作品によっては絶版ということだって十分考えられるんじゃないか。マンガに詳しくないのでいい例が思い浮かばないが、もっとお色気満載の子供マンガなんていくらでもあるだろう。

ちびくろサンボ」が絶版になった社会で、そういうことが今後一切ないと思ってるなら脳天気すぎるんじゃないのか。

http://anond.hatelabo.jp/20080315234414

別に日本に限らず、確かに創作検閲が余り関係ないことは認めよう。スターリン時代の旧ソ連芸術はすぐれたものだった。

問題はそうではなくて、過去の名作が鑑賞できなくなることにある。「ちびくろサンボ」の例を見るがいい。


だけど今回の問題はそうではなくて、「性的なこと」の基準が曖昧すぎることだというのがわからないかなあ。

あと、表現が不自由になる例を一つ。今適当にぐぐったら出てきた例だが。

http://mediasabor.jp/2007/08/post_190.html

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