思えば、赤子は成長する必要がない。
親か、何某かが世話をしてくれるのだから。
必要に迫られていない。
にもかかわらず、赤子は、目を動かし、手を伸ばし、移動する。
そうやって、誰が教えるでもなく、自ずから湧き出る内発的動機によって、歩行を習得する。
であれば、その延長線上に今日があれば、それでいいはずだった。
内から湧き出る意欲に従い、行動し、その結果として、成長があり、人生が描かれればよい。
だが、いつの間にか、私は立ち止まっていた。
過去のいずれかに、赤子と私の連続性を失う何かがあったように思えた。
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