外国文化としての短歌はありうるか、という意味では三井修が『砂の詩学』で中東の砂漠地帯における生活を詠むという試みをしている。そのほかブラジル日系移民の間でも短歌同人活動もあったと聞いている。
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最近の短歌に関する増田の記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。 短歌詠みの間には短歌に関する決まり...
日本人が外に行ったら中国短歌とかロシア短歌とかアメリカ短歌とかできてもおかしくないんかな
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なんだか残酷な天使のテーゼみたいなタイトルですね