2022-07-09

感じなくさせるということ

脱感作というと、最近わが家の前で見た男の子(五歳ぐらいだったに違いない)のことを思い出す。

の子は図体の大きい父親に大声で怒鳴りつけられながら、家の前の通りを三輪車で走っていた。

の子は動じていなかったが、私は鼓動が速まり父親を殴り倒してやりたいという衝動に駆られた。

これほど幼い子が、父親の残虐性に対して麻痺するまでには、どれだけの残虐な行為必要だったのだろうか。

父親の怒鳴り声に無関心なのは、長期的な曝露の結果に違いなかったが、その代償は何だったのだろう。

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