■感じなくさせるということ
脱感作というと、最近わが家の前で見た男の子(五歳ぐらいだったに違いない)のことを思い出す。
その子は図体の大きい父親に大声で怒鳴りつけられながら、家の前の通りを三輪車で走っていた。
その子は動じていなかったが、私は鼓動が速まり、父親を殴り倒してやりたいという衝動に駆られた。
これほど幼い子が、父親の残虐性に対して麻痺するまでには、どれだけの残虐な行為が必要だったのだろうか。
父親の怒鳴り声に無関心なのは、長期的な曝露の結果に違いなかったが、その代償は何だったのだろう。
ツイートシェア