ドキュメンタリーつっても、監督がどの角度から取りたいのか、どういう思想を持って撮影しているのかによって「視線の嘘」が混ざることは避けられないので本当のノンフィクション...
それは確かにそう だからこそ日本式ドキュメンタリーが不足してるなと思うしなぜ海外にそういう類のドキュメンタリーが無いのだろうと思う 介入する形のドキュメンタリーは社会派か...
日本式とか分からないけど、撮影の対象者を選定した時点で「こういう人がこういう状況にいることを映すことでこう感じるだろう」という制作者の意図はあるわけで、撮影者が表立っ...
日本式っていうのは要するに感じ方を限定せず暗に示すに留めるタイプのドキュメンタリーということ 海外式は結論ありきで編集や映像そのものにその傾向が出る 日本式もそうでない場...
取材対象に対して、なんらかの助言をしたり、攻撃したり、っていうなんらかの介入を行わないのが日本式じゃない。
そうそう 動物で例えちゃうけどカルガモの隊列が車道でクルマに轢かれかけても助けないのが日本式 カルガモが轢かれて死ぬ危険がある!だから俺らはクルマの流れを止めてでもカルガ...
まぁ日本式でも、対象が人間の場合、カメラで撮ってる、ってだけで、まったく干渉がないわけじゃないよな。 対象者が、カメラで撮られている、ということを意識した行動になっちゃ...
無人カメラのほうが確かにそうなんだけど それだと内心を語ることが無くなるからな 対象者が内心どう思ってるかを聞くディレクターは必要 それは干渉とはカウントしてない
感じ方を減退しないドキュメンタリーなんてある?基本的には特定の答えに辿り着くための編集がされていると思うけど。
ザ・ノンフィクションの実況なんか見てると全然感じ方が違うよ 批判的なメディアのコメント欄でも攻撃的でなく受け身になったり自分の身に置き換えて考えたりするし 海外式のは往々...
仮にドキュメンタリー作品に対する文化差、みたいなものがあるとするなら、文化圏による受け取り方・受け取られ方の違いがあるのかも。 たとえば欧米は自分の立場で、自分のオピニ...
そこまで言っといて知らんけど。は無いだろ けどドキュメンタリーだけじゃなくホームドラマでもココで笑え!って時亜空間から笑い声のSE出たり欧米は感受性の多様性よりも見方を限...
いや、すまんけど知らんのよ。ドキュメンタリーに興味がないから、基本的に。ただ職業柄、あらゆるクリエイティブには意図がある前提で見てるので、ドキュメンタリーにも常に意図...
なるほど 確かに意図は存在するだろうね ただ日本式だと仮に意図しない方向に転んだとしてもそっちに修正して作品を出すというのは有り得そうだが 海外式だと本筋から逸れるのは断...
意図の明確化、という意味ではユーザーに優しい、つまり作り手の意図を明確に読み取れて、勘違いする余地がない、とも言えるわけだから、アリはアリだと想う。 「いや、それは違う...
バラエティとドキュメンタリーを分けて考えるからややこしくなるんよ。 ヒカルとかが昔やってたテキヤのくじ全部引いてみたも分類としては立派にドキュメンタリーになる。 池の水全...
ごめん全部ドキュメンタリーじゃないわ 社会派にちょっと近いドッキリという感じ ザ・ノンフィクションとかNNNドキュメントとかテレメンタリーみたいなのが俺がドキュメンタリーだと...
そうだね。切り取る視点ひとつで、同じ出来事も違ってみえるわけだから、演出は存在する。作り手の恣意的な視点も当然入り込む。 それを分かったうえでいろんなコンテンツに触れる...
そりゃザ・ノンフィクションが作り手の恣意が全く無いとは言えん だけどそういうテイすら破壊してるドキュメンタリーは単なるドッキリ番組と変わらなくないか? ドッキリ番組もたま...
いや、すべてのドキュメンタリーと呼ばれているものも、作者の視点が入っていて演出が含まれているだろう、っていう話。「ドキュメンタリー風の編集」があろうと無かろうと。
そこまで行くと真偽のほどは検証のしようがないからそこは論点じゃない 大っぴらに撮影対象に干渉するかしないかが論点なんだよ 月曜から夜ふかしはナレーションによる直接的な恣意...