ミシェル・フーコー「言葉と物」二の二「外徴」を読んだ。
記号から意味を見出す技術も、記号が記号として見えてくる技術も、類似が支えていて、その類似は別の類似が支えている(つまり、類似の記号は類似)。その二つのループは少しだけずれていて、生じるくいちがいをその知に固有な空間として受け取りつつ次の類似へと進んでいく。
というのが十六世紀の《エピステーメー》の素描。……ところで《エピステーメー》ってなに?
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