2019-01-30

anond:20190130193239

目の前に裸の女がいるときには興奮するだろう。

目の前に裸の女の絵があるときにも興奮するだろう。

目の前にセックスする男女の絵があるときも興奮するし、

目の前に快楽堕ちする寝取られ女の絵があるときも興奮する。

それぞれの場合キャラクターへの同一化は必要だろうか?

裸の女の絵に興奮する人は、露出狂変態女の気持ち追体験しているのだろうか?

記事への反応 -
  • anond:20190130174218

    その見方は作品内で黒幕存在への言及がないと厳しくないか?

    • anond:20190130180932

      作中人物のいずれかと自分を重ね合わせないとフィクションを読めないというのは素人だぞ。

      • anond:20190130181207

        フィクション一般の見方としては確かに、物語の外の存在として客観的な目線で見ることはできる。 けどそれってエロ本の読み方なの?

        • anond:20190130182854

          エロ本だけ読み方が変わるという道理もあるめえよ

          • anond:20190130185516

            個人的な考えとして、物語から興奮などの感情を得るには何らかの役に同一化しないと得られないと思っているから、客観的な視点だとエロ本としての役割をなさないんでは(興奮しない...

            • anond:20190130193239

              目の前に裸の女がいるときには興奮するだろう。 目の前に裸の女の絵があるときにも興奮するだろう。 目の前にセックスする男女の絵があるときも興奮するし、 目の前に快楽堕ちする...

              • anond:20190130193933

                その絵をみると同時になんらかの物語を想起して、そこに登場するどれかに同一化しているんだと思いますよ

                • anond:20190130195635

                  漫画もイラストも実写もエロゲも官能小説も同じだぞ。 人はエロいものに触れるだけで興奮するのであって、 物語はそのエロいもののエロ度を高めるためのお膳立てにすぎないんだぞ。

                  • anond:20190130203033

                    何かにエロを感じた時、すでにあなたは何かしらの物語の中の役割と同一化しているのです 平行線になるのでこれで終わりにします

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