「これがセーフならあれもセーフだよな?」 「あのときアウトだって言ってたのにこっちはセーフなの?」 みたいな、明確な線引き・定義・基準を求めながらダブスタを探して、ひたす...
ダブスタだからダメとい論法は件の本質の是非が置きざりになるのでよくないし、それ言い出すやつは本質避け体質があるか、本質的には自分の主張が間違っているということに気づい...
わかる、これに名前が欲しい
相手にしない方が良い人種かと
訴訟が絡む公的な論争がこの論理ばっかりだからなー仕方ないというか、住む世界が違うんだろうなとも思った。両方を理解するのがいいんじゃない?
政治ってそういうものですからね、日本人は苦手ですけれど。 正しさ、公平さがあるからこそ自分も不当な扱いをされないと信じる人々の支持が得られる訳で。