邪悪な物語が生起されるのは戯論に囚われているからですが、実存の決定的な転換をもたらす真摯で強烈な命や愛の物語も戯論に囚われているからこそ体感できるわけで、それらを一緒くたにして捨ててしまってもいいのだろうかという迷いがあります
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