そもそも生きることは、とても疲れることだと思います。
だから宗教は「人生は修行だ」みたいな言い回しをするのだろうな、と個人的には考えています。真実は知りません。
「今キッツイけど次の人生が良くなるはずだから頑張れ」などと言われても、「じゃあ今は終わるまでキッツイまんまかぃ」とアホらしく感じます。
つまり私は、宗教に救いを感じられません。
次の人生でも同一の意識だけでも保っていられるならば、意味も救いもありそうなのですけれども。
Permalink | 記事への反応(1) | 23:36
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どう考えようが「終わるまでキッツイまんま」なのは変わらないので、じゃあせめて「人生は修行だ」と考えたほうがラクじゃないですか、というのが宗教の提案だわな。
ラクというか、まだマシという話かな、と。