いつも、今度帰ったときには、おかあさんに、「ありがとうね、いろいろ」と言おうと思ってた。毎回思ってた。
でも、いつも言えなかった。
なぜか、おかあさんの前になると、おかあさんにわざわざ媚びたり、笑顔を作ったりができない。見透かされてる気がするから。
だから、おかあさんに、「ありがとう」のたった一言が、とうとう言えなかった。
「ありがとう」と言ったら、どんな顔したかな。たぶん、聞こえないフリして背を向けてどっか行くか、「こちらこそ、ありがとう」と言ったか。
おかあさんは、どういう反応をしたかな。
でも最近、おかあさんは、俺の中にいる、と時々思う。おかあさんから受け継いだ分厚い手のひら、指。自分の手のひらを見ると、おかあさんの手そっくり。
間違いなく、俺の半分は、おかあさんでできてる。俺の脳も、半分はおかあさん。ということは、俺は半分おかあさん。
俺が今思ってることは、おかあさんが思ってること。俺はおかあさん。
だから、おかあさんは、俺の体の中にしっかり生きている、というか、俺がおかあさん。
おかあさんの思いは、俺の思い。
そう思うと、俺は、おかあさんだから、心の中で「ありがとう」と言って感じる気もちは、おかあさんの気持ち。
俺は、おかあさんとともに生きてる。