「1*0=0」ってのは分かる。「リンゴがひとつ入ったカゴが0個あります。合計リンゴはいくつですか?」そりゃあ0個ですよ。
「0*1=0」も分かる。「リンゴがひとつも入っていないカゴが一つあります。合計リンゴはいくつですか?」
でも、「リンゴがひとつも入ってないカゴがひとつもありません。合計リンゴはいくつですか?」っていう質問、なんか気持ち悪い。この感覚をうまく伝えられないけど、「否定の否定は肯定」みたいな。
いやもちろん、論理積(and)では0*0=0を使ってるのは頭ではわかってるんだけど、心理的に受け入れられない。
ぱっと考えただけでも下みたいな証明が思いついたんだけど、なんか拒んじゃう。
①S=0*0 とする。S=0*0=(2*0)*0=2*(0*0)=2Sより、S=0
②0*0=0*(1-1)=0*1-0*1=0
確かに気持ち悪いけど、ひとつもリンゴが入ってない箱をひとつも集めなかったとして、 有限個のリンゴが生まれ得るか考えたらそれ以外ないことは分かるだろ。 向いてるか向いてない...
「有限個のリンゴが生まれない」事は分かりますけど、だからって「0」になるっていう必然性がよくわからなかったんですよね。 その考え方では「不定」でもいいじゃないですか
何も不自然じゃないと思う。 単位の不理解が問題じゃない? 1[りんご] × 1[カゴ] = 1 じゃないよ。 りんごが1個入ってるカゴが1個 → 1[りんご/カゴ] × 1カゴ = ...
そんなことより 0で割れ