2011-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20110812114258

無理無理。

本質的に有限個のデータではどうやっても不確実性があるし、

データを基にした分析では「得られてないデータは起こらない」とみなすしかいか

現実社会的データを相手にするとどう頑張っても胡散臭い感じにしかならない。

複数のモデルからどれが妥当かを選ぶ方法は、モデル選択という一連の手法群があるんだけど、

本質的にはモデル尤度を最大化してるだけだから、その尤度はほんとに正しい尤度なの?って問題が常にあって

結局同じ話になる。

記事への反応 -
  • 結論が「バランスが良いのが名文です」みたいな陳腐なものならそうだろうな 「名文にもいくつか類型がある」みたいな結果が出れば、少しは面白いかも知れない

    • それもせいぜい人間が目で見て分析した結果と同じレベルの結果しか出ないと思う。 目で見きれないくらい膨大なデータがあれば少しは意味あるけど、そんな膨大なデータはそもそも集...

      • というか、対象が対象だから、ほとんどの場合はどこまで行っても「人間から見てもっともらしい結論」しか出ないと思うよ 「その結論が一定のエビデンスを伴っている」ってのが、こ...

        • 「ホントかよ」って言われたときに「ホントだよ、ほら」って言える、それだけのこと でも結局、そのエビデンスは分析に用いた確率モデルが正しいという前提でのみ成り立つわけで...

          • 横でよく分かんないんだけど、元データの分布を見れば確率分布の仮定が正しかったかどうか検証できないもんなの?

            • 無理無理。 本質的に有限個のデータではどうやっても不確実性があるし、 データを基にした分析では「得られてないデータは起こらない」とみなすしかないから 現実社会的なデータを...

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