自分が周りと比べてどこか変わっていることを自覚しているとする。
その場合、そのどこか変わっていると自覚することは痛々しいことなんだろうか。
どこか変わっていると自覚することは痛々しいと思うことが痛々しいのだろうか。
そもそも、周りと比べてどこか変わっていると自覚するに至った経緯を見直す必要があるのかもしれない。
例えば自ら望んで周りと変わっているようになりたくて変わっていることを自覚した場合、そのことは痛々しいような気がする。
周りとの差異を自覚する事自体にはなんら毒気はないのだが、それを自覚し始めた途端に無意識に鼻にかけているような気分になるから質が悪い。
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