ずっとずっと死にたかったのだ、いまから死ににいくと語気を荒らげた姉は、お願いだからそんなこと言わないで、死なないでと涙ながらに腕を掴んだ母のことを無理解だと断じた。
あんたは私のことを何にもわかっちゃいない。私の苦しみを、絶望を、悲しみを、ずっと見ないふりをしていたのだ。誰があんたなんて信じるものか。あんたの言葉なんて全然届かないんだ。
まあ、それはそうなんじゃないかな。姉の苦しみなんて、完璧には誰にもわからないのだし。今現在手を差し伸べられているのだから、幸福なんじゃないかな。
なあんてことを思いながら、感情が高ぶり涙を浮かべた二人を乾いた瞳で見つめて、やれやれ、いい加減まずいかな。肩に手を置き、心にもない優しい言葉を述べて姉を宥めた。
その内容のなんと美麗なこと。唾棄したくなるほどの綺麗事ばかりが並び、そのあまりの理想論に自分自身で感動し、視界をぼやかしてしまった。
そんな薄っぺらい私のことを、姉は賢いと言った。私のことを理解してくれていると。過呼吸気味だった息もずいぶん穏やかになり、興奮していた姉の語気は徐々に凪いでいった。
死ぬだのと言わなくなり、どうやら深夜徘徊をしようとする衝動も収まった姉を、気疲れを起こした母と一緒に残して自室に戻った私は少し考えた。
確かに母には姉の抽象的な言い分を理解する能力が足りないかもしれない。馬鹿で、愚直に一方的すぎて、空回りばかりして相手を傷つけているのかも知れない。
でも、よっぽど姉のことを思っている。鬱陶しいほどに優しく、暖かく、大切に思っている。
母は強い人なのだ。強く強く姉のことを思っている。家族としての慈愛に満ち溢れている。素晴らしい人なのだと思う。
対して、そんな母を玩具のように扱い、自らの言い分だけを押し通し、毎日のように理由のない暴力を振るう姉は、間違いなく精神的に疾患があり、馬鹿であり、愚かな存在なのであろう。
私なんていなければいい。みんな居なくなって欲しいと思っている。現にそう言っていたんだと泣きじゃくった姉の言葉は、まずまず実情を理解していると言えるし、面白いくらいに自己嫌悪に陥っている。
きっと胸中には並々ならぬ絶望を抱えているのだろう。その絶望が大きすぎるせいで、周囲の人を、もっとも近くによってきてくれている母のことを傷つけてしまっているのだろう。
姉は本当に哀れな人だ。呆れてしまうほど愚かしく、優しくすることを諦めてしまうくらいに無理解で幼く、憎々しくなるほど我が物顔で母の人生に君臨している。
母の人生は、大半、この姉に蹂躙されてしまっているとさえ感じる。
まあそれでも、私のクズっぷりから見れば可愛いものかもしれないが。
距離を取って当たり障りの無い、耳さわりのいい言葉だけを投げかけることと、優しさにあふれた慈しみとでは全くの別ものである。
前者はただただ冷淡なだけだ。私は姉が死のうが何をしようがそれは姉の自由だと思っているし、消えてなくなりたいのならさっさと居なくなれと何度となく思っている。
それでいて今回姉の外出を諌めたのは、ただただ母にだけ姉という重荷を担がせることが恥ずかしく思えたからだった。
結局自分本位なのである。その上、その際に口にした言葉に自ら酔いしれた。
感心してしまうほどクズである。加えてそんなクズとしか言いようのない私のことを肯定的に捉えており、まあそれが私なのだから仕方がないかと開き直っている。
本当にもう、素敵だ。自虐的に書いているこの状況でさえ受け入れており、ナルシズム的な感覚を味わいながらそれを認め、認めている私自身をさらに認めてしまっている。
私には私と言う入れ子がどんどん積み重なっていくのがわかる。どこまでもどこまでも永遠に重なっていて、どこが始まりなのか、一番小さな私はどこにいるのか、時折わからなくなる。
同時に確かなことがいくつかある。私が決して優しくはないということと、誰よりも身勝手で浅ましい人間であるということ、それでもなおこれからも平気な顔をして生活していくのだという事々である。
私は多分、それほど誰かを傷つけていないし、傷つけもしないと思う。誰かに取って心地の良いことばかりを口にし、当たり障りの無い、平穏とした日々を送って行くことが多いと思われる。
あるいはそうした態度が誰かを傷つけることもあるだろうけれど。
それすらも認めて、のほほんと息をするのだ。まっこと冷ややかな性格である。
だからもし、人それぞれに見られる優しさに色があるのだとしたら、私の優しさのようなものは冷たく澄んだ青色をしていることだろう。
母や姉は、きっと真っ赤に燃えるような紅かぽかぽかと暖かそうな橙なんだと思う。
どちらが良いというわけではない。渾然としてそのような事実があるだけなのだ。そしてその事実は誰が観るかによって、どこから観るかによって著しくその姿を変えるものなのである。
私の母は馬鹿なのかもしれない。私の姉はあまり関わりを持ちたくないくらいに愚かしくて腹立たしい。
しかしながらそんな二人よりもよっぽど私のほうが酷い。家族に関することでもなんでも、すべて煩わしいと感じてしまう本当に酷い人間である。
それでも私は大丈夫なのだ。自虐的に書きながら贖罪にも似た甘美なナルシズムに浸りながら、明日もまた誰かと関わり、人を傷つけていく。