生理で出血するって・・・それは男性を一人の人間として尊重していない証拠でしょ。
対等な人間だと思っていたら絶対できない。
目の前にいる人におしっこかけたりする?
我慢するでしょ。
女性のスペックと男性の年収の対応関係をまとめてみた。こんなもんなんじゃね?
〜49点 結婚できるの?
50点〜55点 年収650
56点〜60点 年収850
61点〜65点 年収1000
65点〜68点 年収1500
69点以上 選り取りみどり
23以下 10
〜25 9
〜26 7
〜27 6
28〜 0
現代の常識からすればそうなんだけど、今後も人類の科学的・文化的水準が進歩を続けていくと仮定するなら、いずれ確実に「低能に存在してもらうことができない」時代が来ると思う。倫理的な問題はあるが現実としてどうしようもない、という状態になると思う。
その頃には事後的に遺伝子治療だか脳神経系を直接いじる技術だかで低能をマシにすることができるようになってるかもしれないし、出生前に何とかすることになるかもしれないし、それはわからないけどね。
婚活女子と、その1000万越えの男たちに囲われたり呼び出されたりして体を提供する女たちとの違いってなんなんだろうね。どっちも同じ女で、同じ男を相手にしてるのに。婚活女子もあるいは後者の道を選べば、結婚なんかしなくても案外悠々自適に暮らしていけたりするのかな? どうなんだろう。
程度の差こそあれ、障害を負ったオスを、健康なメスが選ぶことは稀である。これは生物学的に正しい。当然ながら強い子孫を残さねばならないのだから。「愛」という概念の通用しない利己的な生物学的本能をもつ以上、その選択は論理的に的確であり、誰からも非難される理由もない。
この選択の正当性について、現代の人間の場合について考えてみよう。障害を負った男性を女性が強いて好む理由も、ひとつもない。だとすると、障害を負った男性は直ちに排除されるか、いかなる支援も享受することなくのたれ死ぬべきか?大半の人はNOと答えるだろう。
なぜか。「個」の尊厳が全く無視されているからである。多くの人は「そんなことはあってはならない」と感じる。それは功利主義的な論理でもなく、もはやきわめて「道徳」的な問題である。だが「道徳的な人々」が必ずしも健康な男性を押しのけて障害をもつ男性を選ぶか?答えはNOである。
その根拠については私自身の経験上においてもよく知っている。健康な男性を押しのけてまで障害をもつ男性を「選ばなければならない」理由もないのである。もしも障害のある男性に強い好意を女性が抱いたとしても、彼女は激しく葛藤し、将来を悲観する。道徳的に舗装された現代社会においても、葛藤・悲観・悔悟に押しつぶされる前に障害のある男性から逃避する行為は、誰にも責められないのである。苦しんだ女性は、たとえ逃避する道を選んだとしても、苦しんだだけでも賞賛に値すると、私は思っている。なぜなら、その問題において「苦しむことができる」という事実それだけで、彼女は「道徳」を実践したからである。道徳を語ること及び支援することと、実践することの間には依然として断絶があるからである。道徳を声高に語ることは容易い。だが実践し、苦悩する人は、稀である。
ならば、己れの障害のために、男性は絶望すべきか?次々と己れのもとを去ってゆく女性たちを目にして、絶望することは「正義」か?答えは断じてNOである。それは思考停止と同じ罪を負っている。思考及び行動を必要以上に自粛することは、己れで己れの「個」を卑しめることであるからだ。障害をもつ己れが絶望に任せ、己れの「個」の尊厳を卑しめる権利もまた、己れにはないのである。「個」や「道徳」といった問題は本来、そのようにナイーヴに自己完結するものではないからである。
気持ち良すぎて暴発ってのは女に対する最高の褒め言葉
気持ちよくて暴発するって・・・それは女性を一人の人間として尊重していない証拠でしょ。
対等な人間だと思っていたら絶対できない。
目の前にいる人におしっこかけたりする?
我慢するでしょ。
その辺はそう遠くない将来、人類共通のテーマになるような気もする。
「いかに人類の構成員全体をまともにするか?」あるいは「いかに低能を排除するか?」
単純に言って、一家に一票だったんだよ。
肋骨から作られたから。
「元増田の彼氏が、元増田をモノ扱いしてるかどうか」という話なら、モノ扱いしてると思う。
ただ元増田は置いといて一般的な話として、気持ち良すぎて暴発してしまうのは男には起こり得る事象であり、「暴発したこと」だけを判断材料として、その暴発した男が相手の女をモノ扱いしていると判断するのはおかしい。
俺が悪いって言ってるんなら、許さんぞ