NGOの政治的中立性は、政治的コンテキストへの言及すらカットしているので、
問題がどのように生じているかに関して、場当たり的にしか、例えば人数とか率とか抽象度の高いレベルでしかレポートできないと言う構造的欠陥を持っている。
それは、NGOの目的に添ったコンテキストの限定という意味で、すべてのNGOのレポートの構造的欠陥である。
今日のザクザクを見ていると,鳩山政権の迷走が大きく取り上げられているので,おもしろおかしく書いてあるな,と思って,日経に目を通すと,驚いたことに,日経も,何も決められない鳩山政権,の記事で一杯,社説にまで取り上げ,更に海外メディアも,その政権の実力のなさを一斉に取り上げているという,これに対してして中国メディアが,日中関係は今が最良,と報じている,一体どうなっているのか。
その中国の報道の中で目を惹いたのは,世界粗鋼生産がこの11月に世界で24%増,それは中国の生産が40%増で,先進国も鉄需要改善の兆しという。私のサイトに最近,鉄鋼の価格の推移を載せているのをご存じでしょう。昨年,2008年5月の狂乱物価に悩んだ方も多かったと思う。棒鋼の値段が,トン当たりで,2004年4万円,2008年5月に12万円,今現在は5万円,と言うのが読みとれると思う。
私自身も,2008年5月頃,あるプロジェクトを触っていたが,事業費の見積もりには困り果てた時期だ。原油も同じ経緯をたどっていたが,ラオスの水力が事業費のパンクでタイと交渉できなくなった報道が出たのもこのころだ。私は下がると思っていたけれども,当時はじっと秘めて喋らなかった。でも,明らかに昨年の一点だけが突出で,あの山を切り落とせば,ここ5,6年,建設物価は殆ど水平だ。
ただ,日本のジェネコンや機器メーカーは,この昨年の悪夢からおそらく脱却できていないと思う。今日も友人と電話で会話をしていたが,諸物価の狂乱が収まったからと言って,請負サイドがそれをすんなりと受け入れてくれるかどうか。また同じことが起こるだろう,という恐怖心と,政治も含めてインフラから遠ざかっていく中,ジェネコンや機器メーカーも,体制を入れ替えてしまっていて,そう簡単に元に戻れない,心配がある。
でも,昨年,2008年5月の物価状態では,エネルギー・プロジェクトはすべて壊滅である。それは,電気料金が簡単には反応してくれないから,プロジェクトの事業費だけ物価上昇に従って上げる分けにはいかないからだ。世界の経済情勢を敏感に受けるインドや東南アジア諸国のインフラ開発は,容易に元に戻っていない,それは意識の問題であり,実は,鉄鋼も油も,既に2007年の状態に帰っていることを,もう一度認識したい。
今日のタイの記事は,ミャンマーからの天然ガスが,パイプラインの設備の修繕で,3週間も供給が止まってしまうと言う,そのために,4,800MWが落ちてしまう。このためEGATは,既設の水力の全面稼働を指令し,そのために河川の水位が増えて,地方で不安が広がっている,という。タイは,天然ガスへの依存度が70%で非常に当事者達の間に懸念が広がっている。
中国の小水力の記事。日本では,50MWは大規模水力である,しかし,中国の再生可能エネルギーの開発方針の中の小規模水力というのは,50MWである。この小規模水力を,2020年までに75,000MWまで開発するという。全部50MWと仮定しても,実に15,000カ所の開発である。またまた中国の国内開発の進撃が始まるが,小規模とはいえ,混乱を招きそうだ。
山岳に入る人に「引き返す勇気を持ってください」という方がいらっしゃいます。
しかし、前々から思っていたのですが、とても違和感があります。
もし「引き返す」ということが、行動の選択肢に最初から入っていれば、
このような言葉を使う必要はないからです。
「現場状況に合わせて、引き返すという選択肢を取る」というだけです。
もちろん、この言葉には「せっかく計画を立て、来たのだから・・・」と
いう行動者の心理を汲んででの発言であることは理解しています。
しかし、単なる行動の選択肢である「引き返す」を、
あえて「勇気」というような覚悟を内に持つような言葉で表現すること、
それ自体が、突っ込む方の思考を発言者が追認していることになります。
こうした言い方では、状況は変わりようもないのではないでしょうか?
別の表現をすれば「引き返す勇気」というのは「観念論」なのです。
何も具体的な方法を示していない「感情論」とも言えます。
そして、最大の問題は、この観念論が有効であると
多くの人が思っており、そうした言葉を何も考えずに使っていることです。
こうした行動傾向を的確に表しているのは「集団思考」という