これやったんだ。
記憶が逆流すると、何十もの万力で脳を締め上げられるあの独特の感覚に陥る。
数年かかった勉強が仕上がり間近で、あとはそれをたった一つのアウトプットにまとめるだけだった。
それを作るのに、これだけの時間がかかった。
30枚のノートが1冊3日で消費されていく日々。
それを淡々とひたすらに続ける。
一切のショートカットを拒否するとこれだけかかると、難関の試験を受けながら痛感する。はじめは痛みしか感じなかった難解な文章も、気づくとライトノベルを読むような感覚で、読めるようになっている。
鍛えたのだなあと、そう思う。
難解な試験の受験勉強は脳の筋肉トレーニングのようで、重量挙げのバーベルをペン回しのように指で回している自分がいることに気付く。
とても可愛い年下の子で、頭を鍛えることだけに熱心だったぼくの思考になぜかその子は付いてこれる。聡明というのが正しいのかもしれない。メールでやりとりして、その理解力のすごさにびっくりした。
負けず嫌いで、いろいろといたずらをしてくる。
ヒット&アウェイが得意で、側にいたかと思うとまたどこかへ行ってしまう。
彼女の周りのごたごたを片付けながら、すこし力を見せると、怯えたような様子を見せる。
そうか。
すべてを読み切れるだけの力がある人間に出会うのは初めてなのか。
デスノートのように殺伐とした知能戦ばかりが世の中に出回ると、怯えるのは無理もない。世界中で行われている本物の知性のぶつかり合いは、今は世界をよくしていく切磋琢磨のために、膨大に注ぎ込まれている。
ちょっと前まではデスノートのような世界だったけど、もう世界は決定的に変わってしまっていて、協調的競争の時代になってしまった。
だから、そんなに怖がることはないのに。
彼女とのやりとりは小気味のよいパス交換のようで、ひとりでボールを蹴ることが多かったサッカー小僧に仲間ができたよう。
この前、テクニックを披露して見せたら、すぐにそれを真似しようとする。
いくらなんでも、これはかなり長い時間を掛けて培ったものだから難しいと思う、ということでも果敢に挑戦してみてしまう。使っているところが違うんだけどなあと思うのだけど、すぐにでもコツを掴んでものにしてしまいそうに思えてくる。
できないできないと嘆いていたことも、あっという間にものにしてしまう。
もう抜かれてしまったことも、たぶんたくさんある。
おちおちしていられないなと思った途端にサッカーが楽しくなってくる。
ずっとひとりでボールを蹴っていたのだなと、いまさらのように気付く。
ずっと、ずっとひとりで。
そこに彼女が舞い降りて、あっという間に呪いを解き放ってしまう。
どうやったの?
と聞くとたぶんこう返す。
ひたすら淡々と修行僧のようにしていたことが、これが時間とお金を生み出すのだと思えるようになってくると妙に楽しい。
遊ぶ金欲しさになんて言葉が世の中にはあるけれど、ぼくは遊ぶ時間とお金ほしさに節約する、勉強する、やるべきことを片付けていく。
それを使ってなにしよう?
なんならいいと言ってくれるだろう?
そう考えると、心が華やいでくる。
楽しくなってくる。
この前、いきたいところをリストアップしていたら、あまりにも楽しくなってはしゃいでしまった。そういえば、遊んでいなかったのか。ずっと仕事で、ずっと勉強で。ぜんぜん遊んでいなかったんだ、とそう思い出す。
彼女もぜんぜん遊んでなかったという。
じゃあ、二人で遊びに行けばいい。
あんまり不健全でなければ、どんな遊びだっていい。
あちこちを遊んで回りたい。
そのために、頑張らなければ。
効率化をして、せっせと時間を作る準備をする。
着実な勉強をして、充分な実力を養っておく。
やるべきことはたくさんあって、それを身につけるたびに、今でも強固な仕事環境が、充分に強固になっていくのだと信じる。昔、別の分野にいたときは、勉強しても勉強してもまったく環境がよくならないのにため息をついていたのを思い出す。
それを使ってなにしよう?
すこし悩んで、選んだのは後者。
そろそろ恋人に昇格させてもらえないだろうか?
まあ、恋人みたいな友達でも、当面は問題はないのだけど。