2008-06-22

一秒でも早く、一秒でも長く

汚れた作業着で汗を拭う。今日現場はきつかったから体が重い。さっさと家に帰ろう。そして酒でも飲もう。そう決めて疲れた体に鞭を打ち事務所に金を貰いに行った。事務所へ行くと現場で一緒だった奴らがいた。俺と同じくらいの仕事をやっててひいこら言ってたくせに、なぜかほくほく顔をしていたので理由を聞くと、これから夢屋へ行くらしい。

夢屋。10年くらい前に望みの夢を見せる機械ができた。当時と比べれば大分安くはなったが一般人には手が出ない。だからそれを時間単位で切り売りする店ができた。それが夢屋。もちろん、こいつらが行けるような店だから新型なんてないだろう。使い古された旧型が置いてあるだけの汚い店。だが店構えなんて夢を見ちまえば関係ないし、気にするような上等なやつらはそもそも夢なんて見る必要がない。だからだろう。俺らみたいな未来がない奴らが働くような汚い街に夢屋が多いのは。

そいつらの誘いを断り、途中で寄ったスーパーで酒と惣菜を買い、家へと帰る。狭い部屋は惣菜のパックや酒の缶で溢れているので足の踏み場がない。玄関と布団を繋ぐ通路に辛うじて道ができているくらい。まるで獣道だ。布団に腰を下ろし惣菜を食う。食い終わるとスーパーの袋に入れてそこらに投げ捨てる。また足の踏み場がなくなった。まるで俺の人生みたいだな。酒を飲みながらそんなくだらないことを考えた。

これじゃ駄目なのはわかってる。わかってはいるがつい楽をしてしまう。そうして楽をし続けた結果がこれだ。踏み場のない部屋。ゴミは片付ければ済むが、人生は今更どうにもならない。どんどん選択肢がなくなっていく現実を前に、何をするわけでもなく結局楽な道を選び、更に追いつめられていく。

だが、それでも夢に逃げることだけはしなかった。考えるだけで吐き気がする。どんなに汚い部屋だろうが、どんなに仕事がきつかろうが、どんなに先がなかろうが、逃げることだけはしない。楽をした自身の選択の責任は何があろうと引き受ける。それだけが俺の矜恃だから。

そんなことを考えてると隣室の奴のことが頭に浮かんだ。俺らみたいな日雇いの奴らはほとんどが夢屋の世話になっていた。現実では先がなく、仕事もきついので当然と言えば当然だ。だが、きつい仕事を耐えるための夢から、夢を見るためのきつい仕事になってる奴は馬鹿としか思えなかった。現実が二の次になったそいつらはますます劣悪な環境に陥ったが、気にすることもなく更に墜ちていった。奴らの関心は目の前の現実より次はどんな夢を見るか。完全に夢の方が主になっちまってた。だから俺は夢なんてものが大嫌いなんだが、そんなことを言っても誰も理解してくれやしなかった。夢の虜になった奴ばっかりだったからだ。そんな中、唯一俺と同じ考えを持ってたのが、隣室の奴だった。

俺と同じような暮らしをしてるそいつとは気があった。よく一緒に酒を飲み語り合った。そういえばこの前会ったときかなり落ち込んでいたし、酒でも飲みながら慰めてやるかなっと隣室へ行く。あいつの家も俺の家と同様、盗まれて困るようなもんは何もない。鍵なんてかかったことのないドアを開けると中には誰もいなかった。今日はいるはずなんだがと不思議に思い、そいつの隣の部屋の奴に尋ねるとあいつは夢屋に行ったとのこと。

馬鹿野郎。教えてくれた人間を突き飛ばし夢屋へと走る。確かにあいつは落ち込んでいた。この世の終わりかってくらいに落ち込んでいた。でも俺と同じ意見を持つあいつならと心のどこかで安心していた。馬鹿野郎。いくら辛いからって夢に逃げたらお終いじゃねえか。俺とお前が大っ嫌いな、夢見るために現実を軽んじて墜ちていく奴らと一緒じゃねえか。

全力で走る。間に合うかどうかなんて気にしない。とにかく全力で走った。ボロい家が多い住宅街を抜け、歓楽街に入ると人が一気に増える。酔っ払いにぶつかりながら全力で走る。チンピラとぶつかりながら全力で走る。ヤクザとぶつかりながら全力で走る。殴り合いの喧嘩になったが隙を見て逃げ出し全力で走る。そうしてようやく夢屋についた。

50人くらいが並んでいた。ボロくてちっちゃい店だから中に入るまでに30分くらいかかる。並んでいる奴らを見回すとあいつがいた。背中しか見えないがすぐにわかる。どんなに離れていてもあいつを見間違えるはずがない。右手で拳を握りしめ左手で肩を掴んでこっちを向かせた。

馬鹿野ろ――」

振り上げた拳は空中で、馬鹿野郎という怒声は途中で止まった。振り向いたそいつの顔が紛れもなく俺自身の顔だったから。




時間でーす。」

だるそうな声が聞こえる。若いバイトの声だった。装置の電源がオフになり、目の前には薄汚れた小さい部屋。

「どうしますー?延長しますかー?」

間の延びた声でバイトが面倒くさそうに問い掛けてくる。ははは。そうか。全部夢か。涙が出てきた。夢だったことにではなく、俺の望む夢の内容に。俺には友達はいない。だから止めてくれる友達が欲しかったのか、それともあれは俺自身だったのかはわからない。だが、そのいずれにしろ、夢屋に行く自分を止めることが望む夢だったことに涙が止まらなかった。

「どうすんっすかー?」

再度尋ねてくるバイトに俺は泣きながら答えた。

「延長で。」

一秒でも早く、一秒でも長く、この現実から逃れられる夢を。

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