2008-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20080314115830

ニーメラーの話を敷衍した論理って、些細な問題又は自分が無関心な問題に一度反対した人は、重大な問題や自分が関心のある問題には二度と反対しない、反対できない、というのが前提になっていると思う。

ユダヤ人は処刑されたから、二度と反対できなかったのだけど。

でも、法律改正の場合には、一度反対した人が、二度と反対できないということはない。

何回でも反対できる。

だから、ニーメラーの話を持ってきても、それによって、児童ポルノ法には、反対すべきということにはならないのだと思う。


ニーメラーの話って、他の法律に反対する人たちにも使われている。

だから、児童ポルノ法でニーメラーの話をされたとき、私は少々食傷ぎみで、またかと思ってしまい、むしろ必要以上に煽ってるんじゃない?と思ってしまった。

法律改正に反対しないこと自体を問題にするんじゃなくて、児童ポルノ法の特有の問題を指摘して反対したほうが理解されると思う。

記事への反応 -
  • 児童ポルノ法問題については一言で終わる 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、 (ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、) 私は共...

    • ニーメラーの話を敷衍した論理って、些細な問題又は自分が無関心な問題に一度反対した人は、重大な問題や自分が関心のある問題には二度と反対しない、反対できない、というのが前提...

      • よこれす。 でも、法律改正の場合には、一度反対した人が、二度と反対できないということはない。 これはその前の増田の文をみるに 「一度も反対しなかった人が」じゃない? で、...

        • トラバどうもです。 おっしゃるように、元増田さんの言いたいことは、 「一度も反対しなかった人が、反対してもだれも支持してくれない」 だろうと思います。 そこのところを私は疑...

          • 「ニーメラーの話を敷衍した論理って、些細な問題又は自分が無関心な問題に一度反対した人は、重大な問題や自分が関心のある問題には二度と反対しない、反対できない、というのが...

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