http://anond.hatelabo.jp/20070311002756を読んで思ったこと。
ツンデレの魅力は何かと言えば、ツンからデレへ移行する際の一瞬の輝きである。
バナナは腐りかけが美味しいのと同じく、ツンデレもデレ期に近づくほど美味しいキャラになっていく。
しかし、デレ期に突入してしまったら、それはもう腐ったバナナなのである。賞味期限切れなのである。
ツン期で助走をし、ツンデレ転換点で大ジャンプをして、あとは潔く谷底に落ちていくべきなのである。
ツン:デレ比は9:1くらいが最適であろう。
ツンツンツンツンツンツンツンツンツン→デレ→死亡である。
蝉のように儚い一生である。
ツンデレを書こうとするならば、まず何より「ツン」を重視して、「デレ」は無視するくらいが丁度いいのである。
よいか、決してデレを重視してはならぬぞ。
「デレデレ」なキャラなんぞを書けば天罰が下るであろう。
多めに鎮痛剤服用した。
マイミクのマイミクのマイミクの・・・みたいな形で渡り歩いてたら、とある人の日記を見つけたんだよ、増田。
「あなたの発言が気に食わない。さあ私をマイミクから外しなさい」
みたいな発言があってさ。なんかのけぞったよ。マイミクに対してそこまで言えるのに自分から外さない真理がわからないんだ。どういう心理だとああいう台詞がはけるのか、誰か教えてよ。
なんで実際に迷惑なものに、迷惑だから消えろと言っちゃいかんのだろう。少なくともあの場に一緒にいる者として、対等にものを言う権利はあるんだから良いじゃん。あそこで一個の発言に実効力なんかないんだし、そういう意見があるってことだけ受け止めてくれれば良いのに、なんで意見に対する反論をされるんじゃなくて、そういった発言をすること自体を最初から咎められなきゃならないのか。そのまま行けば自分に不利な流れができるのがわかってて、それを抑止したいだけなんじゃないの。周りも周りで、迷惑だって気持ちを訴え続ける割には、妙に賢ぶった発言をして歯切れが悪い。許容するメリットがあるならわからんでもないけど、公益性といえるもの無しで、むしろ真に公益のあるものに対して実害を及ぼしてるじゃん。そんなもん半端に擁護して何になるのよ。あれだけ盗人猛々しい相手に対して、懐柔策と言うにしてもばからしい気がしてならない。あれか、地下鉄サリン事件とか見ても宗教の多様な考え方は尊重すべきとか言っちゃうやつか。議論するなら事を進めたいんだから、場違いな予防線張って、うやむやにしようとしてくれるな。いや、そもそも彼らは議論なんかしようとしてないのか。じゃあ私の一人相撲か。ごめん。
私はそういう経験が全くないのだがどういう環境に身をおけばそういう人に出会えるのだろう。
結構人の好き嫌いは激しいのだけど、周りの人は普通に空気が読めちゃう人ばっかりなので、こっちがめんどくさそうにしてるということをさっと感じ取ってやめちゃう。おかげでブチ切れたりできなくって悶々としちゃいます。
「俺はツッコミだな」
ろくなツッコミもできないくせにそんな事言うな。
毎回俺がボケしてるのになんだよ、あれは。
今日も飲み会会場着いたとき考えてたボケしたのに全然ツッコミじゃない返答してきた。
大阪住んでたときはあんまり意識したことなかったがボケとツッコミがちゃんとあったんだよ、あそこには。
話しかけるしかないと思うぞ。
まず自分ではてダを毎日更新して自分の趣味やどういう事に関心があるのかとか、そういったことを晒す。
次に似たような趣味の人や、友達になりたい人が興味を持ちそうなことを書いてあるはてダを探す。
そしてコメントする。少なくとも100人くらいに。
その後は相手のリアクションにもよるけど、コメントに返事くれたりあなたのはてダにコメントくれるかもしれないし。
そんな感じのやり取りを繰り返してれば出来ると思うよ。
重要なのが返事が返ってこなくても気にしないこと。
ああ、趣味が合わなかったんだな、とでも思って他の人を探すべきだと思うよ。
あとは自分ならどうするかを考えること。自分ならどういう風にアプローチされたらオンラインでしか知らない、顔も見たことも無い人と友達になろうと思うのか考えて見てそれを実践するとかね。
ちょっと気になるけど元記事見れない。
渡すかどうか迷ってるだけで無神経な手紙見てみたいかもー
ていうかなんかのコピペなんかな
「ん?さっきから何やってんの?」
「ぜって??誰も読んでない本探してんの」
「……何それ」
「こんだけ広くていっぱい本が並んでる中にさぁ」
「うん」
「誰にも見つけられない本があるんだよ」
「おー」
「それってすごくね?」
「……まぁね」
「……美貴もさーがそうっと」
「おいコラよしざーのが先だからな」
「ふふふ」
似たようなケースで、縁を切るほうの立場になったことがある。
友達だった子の一人が恋愛やら人間関係やらで悩んでて、しょっちゅう愚痴を聞かされてた。週に何回も。一回あたり数時間。
「ねえはなしをきいて」と家やバイト先にやってきたり、電話(やっぱり一回何時間も)がかかってきたり。
アドバイスが欲しい、というからこっちなりに考えたことを言ってみても、でも、だって、で、次回もまったく同じところでトラブってる。
しょうがないなぁとは思ったけど、友達だと思ってたから、ひたすら話を聞いてた。
でもある日、「あたしはこんなに悩んでるのになんであんたは不幸じゃないのよっ」みたいなことを言われて、ふつっとなにか切れた。
会わないようにしてからしばらくは「おねがいはなしきいてきいてきいて」とか大量に留守電が入ってたりしたけど、一切出ないで、黙って引っ越した。新しい連絡先はだれにも教えなかった。
同じサークルだったから、そこに行くのもすっぱりやめた。
おかげで他の友達とも縁が切れちゃったけど、あの不幸のどん底に引きずり込まれるような「きいてきいて」を浴びせられる日々に戻らなくてすむなら、それも仕方がないかと思ってる。
そのイケメンの人はそれで別にいい気がする。
と言うか要は一般大衆の人に「お洒落だね」と言ってもらいたいという欲求があるかどうかってことだと思うのよ。
言われたいのであれば、もう「2次元の格好よい」と「3次元の格好よい」にギャップがあるとわかってるんだからそこを埋めればいいだけの話だし。
別に言われたくないのであれば自分の意見を貫けばいいしね。
人は忘れる。
昨日の天気も、
大事な書類も、
そしていつかは
自分の名前も。
なぜだろう?
楽しかった記憶も、
つらい過去も、
自分は自分を形成しているすべてのものを
いつかは忘れてしまう。
なぜだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20070310234206
>あと、俺はオシャレだって言ってる男は例外なく勘違いです。
確かにその通りですな。
大体お洒落ってのは他人に対して使う言葉だからね。
自分に対して使うときは動詞としてしか使わない。
『今日はおもっきりお洒落してきました』
みたいな。
>オシャレでない人は雑誌見てもどれがかっこいいとか自分の好みとかわからないんじゃない?
>アラビア語聞いたり見たりしてるみたいにちんぷんかんぷんなんじゃないのかな。
うーん、そういわれるとそうなのかも。自分がそう思ったことがなかったからああいう風に書いてしまったけど。
でもどれか1着ぐらいは気に入ったり興味を引くものってないのかな。
1着だけだして、これが好きか嫌いかって問いても答えられないかもしれないけど、10着のうちで一番ましだと思うものを選ぶのは出来る気がするんだけど。
誰か一人の人を指してあいつは美人かそうでないかって言うのは難しいけどクラスの中ではあいつが一番美人だな。って言うのはできそう。ってのと同じような感じ。
この人、この彼と付き合ってたどころか、たぶん一度もデートした事すらないと思う。