http://anond.hatelabo.jp/20070219114446
最近近くに越してきた一家の夫が、どうやらコンクリ殺人の犯人らしい。
すでに町内はパニック状態で、
署名を集めて出て行かせようとしたり、その一家には何も売らなかったりとかなりの差別っぷり。
私はひょんな事からコンクリの奥さんと話すようになったんだけど、
引っ越しても引っ越してもストーカーのように追いかけ続ける人が何人もいて、移り住んだ地域の人達にソース付きでバラしてしまうらしい。
http://anond.hatelabo.jp/20070219162657
>>それにしても、頭が痛い。馬から落馬。<<
そもそもは、「ず」と「づ」の話か。重ね言葉の話かと…。
必ず必要だと言われ、一番最初に取りあえず応急処置を引き続き続行する。
みたいな。
深刻さが無さすぎるところだよな。
別によ。ヤリチンだろうがイケメン・オサレだろうが、恋愛経験豊富だろうがそんなのはどうでもいいんだよ。
何でお前らはそれを、真面目に表現できないの?
何で変化球で表現するか、笑いに繋ぐようにしか出来ないの?何で直球に表現できないの?
ユーモアがどうこう、笑いがどうこう、馬鹿らしいんだよお前らは。
何でチャラチャラした奴が嫌われるかわかってないんだよな。
面白おかしくて何が悪い?普通みんなそうだろな考え方で何が悪い?とかじゃなくてさぁ。
皆で楽しもうな考え方とか、一般的な考え方自体を批判してるんじゃなくて、
それを何故、ちゃんと表現できないかな。
セックスを笑いとしか表現できてないんだよお前らは。だから嫌われるんだよ。
もう少し、頭を使って考えろよ。
楽しいことを言っていればそれで良い。って論理自体が間違ってる事に気づけよ。
お前らはセックスをユーモアとしてしか表現できてないから、駄目なんだよ。
気持ち悪いんだよ。そこが。
いや、違うでしょ。一部の例外(複合語の濁音化、連呼)を除いては
づ→ず
ぢ→じ
というふうにするという取り決めだったと思う。
だから、ひさや大黒堂の「ぢ」は間違いだ、というのは野暮だけど。
ex.)
複合語の濁音化
言葉遣い(ことばづかい)
連呼
続き(つづき)
なんとなく使ってた。勉強になります。
頭痛は、「づつう」で変換していただきたい。が、「ずつう」らしい。つまんない。
というぐらいの頭痛に悩まされている。
「いーや、違うんだ。ずつうだずつうだ、づつうはおかしいいんだ」と三年ぐらい言われ続けられたら、「ああ、もしかしてそうなのかも」と思ってしまても仕方あるまいとせんめんき。壊れた文章は直さないことにひた。全ては、僕の入力についてこれないことえりのえいだ。せいだ。ああ、もうことえりが遅くて遅くて遅すぎ。
つまりは、「あなたは女の子でしょう?」と三年ぐらい、会う人会う人に言われ続けたら、どんな男でも「俺は女なのかなぁ」と思ってしまうもんじゃないか? なぁ。
それにしても、頭が痛い。馬から落馬。
そんなことないんでない。ある程度以上読み進んだところでつまんなくなったからやめた、その理由はほげほげ、ってのは十分語ってもらう価値あるよ。最初から最後まで単一エピソードで作られてる作品ならともかく。
ま、もし最初の3ページでやられたら萎えるだろうけど。そのときはそんな奴を信じなきゃいいだけのことさ。
この「自己主張という行為」が一体どんな行為を指しているのかさっぱり分からないので文章自体の意味がひどくボケている。主観的に、つまり自分という存在がどう感じたかを「外に向かって書く」のは主張とは違うのか?
つまり自己主張とか何とかはどうでも良くて、単に攻撃性があるか否か、意図的かどうかはともかく読者(の一部)を煽っている文章だけを問題にしてるんだろうか。ま、自己主張とは攻撃である、と循環定義されてるから良く分からんのよね。攻撃性のある文章全般の話になってしまうと、「一言多い」ってのも曖昧な話になってしまうから。単なる程度問題の話?
というわけで問い直そう。一言多いって、もそっと具体的に言うと何?
全部読んでないのに語ろうする事がそもそも論外。
多分皮肉って奴さ、兄弟。ま、あんまうまくないけど。
私の場合、ここでエントリを書くときなんかはつい自分を出しすぎて、そのまま自爆する。
私としては、主観的に文章を組み立てるということ自体は重要なことだと思っている。そもそも、主観性がなければエッセイも小説も、そして評論文でさえもかけないだろう。客観的事実を羅列するだけなら、機械でもできる。そのようなエントリを読んでも、さほど面白みを感じないだろう。客観的事実は、その存在する文脈によって意味を持ち、はじめて興味関心の対象へと変わるのだから(まあ、私も数値化されたデータを眺めるだけで結構面白いと思ったりはするのだが、それはそのデータが興味関心の対象となっているからに他ならない)。
しかし、主観的に文章を構築していくことと、自己主張をすることは、まったく違う。自己主張という行為は、「攻撃」の意思表示である。たとえそれが自己防衛のためであっても、自分に近づくことを許さないという意味で、他者を攻撃している。そして、そのような攻撃は、時として読者を不快にさせる。
もちろん、守ってばかりで攻撃性がないエントリというのも、あまり面白くない。読者が何かを感じるきっかけとなるような刺激こそ、そのエントリの価値だからである。しかし、あまり攻撃的な文章を書きすぎると、読者が不快感を募らせその場を立ち去ってしまうかもしれない。
では、どうすればいいか。私としては、「一言多くないか確認してみる」ことをオススメしたい。自分は軽率な人間なせいなのか、つい一言口走ってしまって、それが批判の対象となることが多い。攻めの文章を意識しすぎるとつい本音が出てしまい、自滅してしまうようなのだ。だから、過剰な自己主張(本人は意識になくても、文章次第で読者にはそう受け取られてしまうことがある)を和らげるためにも、エントリに無駄な部分がないか確認したほうがいいだろう。
一言多い人間は、この世界では好意的に見られない。あなたがつい放ってしまった一言がトラブルの火種になるようなことがないよう、願っている。
こういうふうに「俺には表裏はないよ」ってタイプはイヤだね。自分の言い分を主張するだけで他人の気持ちなんておかまいなし。こういうタイプって何気に無神経だったりする。言いたいことだけ言って何かあっても「悪気はない」と言えば許されると思っているから。そういう無神経なヤツだからみんなからウザがられても気づかないだけなんじゃないの?
分かれ目は、フリーザ親子が未来からやってきたトランクスにあっさりやられちゃった回。
ちょ、ちょっと、未来からやって来たって。時間を移動していいのは、ドラえもんだけ。
2時間後のドラと4時間後のドラと6時間後のドラと8時間後のドラが一緒になって…(ry
ああ、話が逸れた。
ところで、瞬間移動って何?ナメック星以降は読んでないんで。
http://anond.hatelabo.jp/20070219143120
確かにフリーザや悟空があの中で生きてたのは少し微妙な気もする。
瞬間移動も「それはないだろ」みたいなところは少しあるが、制限がある分まだいいとも思う。
個人的に言えばセル編までは良かった。
強敵が地球内から宇宙まで枠を拡大した流れの中で、さらに強い敵が地球に居たという展開。
さらに、それがかつて倒したRR軍という、この流れはかなり良いかと。
問題はブウ編だ。
やはり主役は悟空であり、そうであればフリーザ編からのあの時にも悟空が死ななかったのは正しい。
ブウ編に入る辺りがドラゴンボールの転機ではないかと思う。