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2022-06-20

吉川 平介(きっかわ へいすけ、生年不詳 - 天正16年12月5日(1589年1月21日))は安土桃山時代の豊臣政権官僚豊臣秀長配下として、紀伊国統治にあたった。

もとは織田信長の下で伊勢大湊の船奉行を務めていた。羽柴秀吉紀州攻めの後、羽柴秀長配下として紀伊湊に入り[1]、七千石を与えられて雑賀に築城した。天正14年(1586年)に北山一揆が勃発すると、秀長に従って出陣し、一揆鎮圧した。

紀伊湊は紀伊特産である木材の集散地であり、同地を支配する平介は「山奉行」として材木管理調達の任に当たった。当時畿内では方広寺大仏殿の建立などのため、熊野木材商品価値が高かった。天正16年に秀長の命令熊野木材2万余本を伐採して大坂販売したが、その売買の代金を着服して私腹を肥やしたこと秀吉に報告され、同年12月5日大和西大寺処刑され、首は洛中さらされた。この事件では秀長も部下の監督責任を問われ、「天下の面目を失った」(『多聞日記』)上に、翌年正月の礼で秀吉への拝謁を許されなかった。

今でいうワイロや着服では切腹

さらに本人の責任ではない実弟すらも連帯責任として罰する

厳しい世界だったんだなあ

 
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