はてなキーワード: 伊達秀宗とは
秀吉死亡時、五大老の年齢は、
前田利家 59歳
徳川家康 55歳
毛利輝元 45歳
上杉景勝 42歳
宇喜多秀家26歳
という感じで、まあ秀家はどう考えても若すぎるんだけど、
だから実務を期待されてたというより「次世代の中心として秀頼を支える立場」を宣言された感じだよな。
ここに秀家の代わりに伊達政宗(当時31歳)とかを入れると、
どう考えても上の世代が死んだあと乗っ取られちゃうじゃん。
そもそも秀吉および豊臣家の弱点は一門衆が手薄なことで、
姉の子供たちだとか、妻ねねの甥(=小早川秀秋)だとか親戚をかき集めたけど、
そいつらは生まれながらの武士ではないし若くて頼りない。
秀頼が成人してもそいつらがちゃんとサポートできるかわからない。
そこで秀吉は有力大名の息子を人質代わりに養子にして、
そいつらを懐柔して疑似一門衆にしようとしていたと思われる。
宇喜多秀家・結城秀康・伊達秀宗あたりな。
その中でも秀家は実家を継いで大名になったし、
豊臣家にも従順で大坂に近い岡山57万石を与えられていた。
秀家はほとんど「豊臣一門の若頭」みたいなポジションなんだったと思うよ。
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