失われた25年と宣う方々が何をしてきたのかといえば、
当時を生きてきたその他大勢である彼らが、
大多数の論理に従い特に何もせず、
いじめられっ子の行動原理、すなわち、
主張せず、元となる出来事を顧みることもなく、ただ記憶のうちに留め、
やがて原形をとどめぬ呪いとして自他に反映させてゆく、という、
非生産的な振る舞いを繰り返してきたのではないだろうか。
おそらくこのまま日本は次々と変革という名の消失を続け、
革命という名の分厚いパッチワークを延々と繰り返しながら、
天才と天災の出現を待ちながら、国体を護持していくのだろう。
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