ごんぎつねの話や、さだまさしの『償い』を聞いていて思ったのだけど、
罪を犯す→償う日々→ある時報われる日が来る
みたいに綺麗なフェーズを描ける話って創作の中だけじゃないかな。
人を殺したとか、人に大怪我を負わせたとか、そんな大層なことではなくても
日常でやむなく嘘ついたとか、友人に今度貸すよ、使わないからと言ってた参考書を持ってくるのを二度忘れたとか、
そういった身から出た錆びのような一見軽い罪が、
いつの間にか消えない傷になって心の底に溜まってることに、ベッドに就寝しようとしたその瞬間にはっとなる。
周りが自分の罪に耐えてきたことにある日突然気づかされる。
けれども、これからどうやって贖えばよいのかと考え始めた矢先に、知らず知らずのうちに自分は次の罪を重ねてる。
そうやって償罰が混在となったドロドロの物語が日常なんだろうね。
犯した罪に、清算できるものなんてないけれど、節目がどれひとつないことはもっと辛いよ。
嘘をついたことのない人なんかほとんどいないと聞くけど、
みんなはどうやってこの罪を返済してるんだろう。
みんなはどうやってこの罪を返済してるんだろう。 そもそも「罪」とは感じていない そのうち忘れる むしろ自分が被害者だ、と憤懣を募らせる
忘れることは自分も時々ありますね。 でも、否応なく、突然思い出すんですよね。 机の整理をしていたら借りパクしたままのシャーペンが見つかって うわああとなるような。 そんなこ...
忘れることは自分もありますね。 でも、否応なく、突然思い出すんですよね。 机の整理をしていたら借りパクしたままのシャーペンが見つかって うわああとなるような。 そんなことば...
そんな真面目だと生きづらいだろう。 適度に他人を踏みにじる勇気、ルールを平然と破る気概を身につけた方がいい。
なにこの老害。石原慎太郎か
ありがとう、しかし借りパクしてる時点で真面目ではないです、とレスしようかと思いましたが 誠実ではない真面目を真面目クズと、そういえば言うんでしたね。 そのどれもが身につけ...