よく「結果の平等」よりも「機会の平等」というけれど、要するに、機会の平等というのは、「(社会が)公平か」ということだと思う。
しかしながら、今栄えている産業のおいしいところは既得利権が握って離さない。必要とされるのは、実力よりもコネや金。これは「公平」ではない。
団塊Jrの氷河期の時は、そんな公平ではない社会に対して、新しく勃興してきたIT業界に(公平な)チャンス(の幻想)があった(もちろん、結果、死屍累々だが)。新しい業界だったから、既得利権の力は弱いということだ。
そして、今現在の話に移るが、IT業界も年を取り、勝ち組もまたほとんど固定された。だが、他にそんな幻想を抱かせてくれるような産業がないよなというか、インターネット自体が、幻想破壊装置として機能している(「殺伐とした現実(これも一つの物語だが)」を見せてくれるという点で)感じがする今日この頃である。
老人に媚びたマスコミが「若者が駄目だ」論を展開する。自分たちがガッチリ既得利権を握り、若者にチャンスを与えないのにだ。
その既得利権のパイがどんどん少なくなり、若者に見放されたら、この国の将来はないのにだ。
とは言え、別に批判するつもりはない。
ただ、(世界の)構造を自分なりに把握することは重要だと思う。
・・・少なくとも、ここに書いたことは私の理解を何となく書いているだけでありあまり真に受けてもらっても困るし、「どう(世界の)構造を把握する力を付けていくのか」というノウハウは、各個人が試行錯誤しながら自分なりに方法論を確立する必要性があるんだろうなと思うが。というか、そんなことを言わずとも、優秀な若者はものすごい勢いで世界に適応するサバイバル能力を付けていくんだろうなとも思う。だから、自分も精々、がんばりたいと思います。