ただし、まともに判断ができなくなっていた私は、ことごとく曲解した。
人生はすばらしい(私以外のすべてのひとにとっては)
生きてさえいれば何があるかわからないのだから(そうだ、今よりさらにひどいことが起こるかもしれない)
希望を失ってはいけない(次は、健康で才能と美貌を兼ね備えた大金持ちに生まれるかも)
愚痴なんかこぼすな(言いません。絶対に、誰にも)
努力し続けなくてはならない(完璧に準備を調えるため、労力は惜しみません)
結果を出さなければ意味はない(そう、失敗するわけにはいかない)
今、苦労しておけば、あとが楽(そのとおり。苦痛は一瞬で、あとは無だ)
ひとに迷惑をかけないように(有毒ガスを発生させたり血や吐瀉物や肉片で汚したりしないように)
大切な人たちを悲しませないように(私のような屑が生きていたら、あの人たちは悲しいにちがいない)
大切な人たちを幸せにしよう(どうか、残ったお金は自由に使ってください)
身近な人に相談しよう(迷惑をかけるわけにはいきません)
病院に行けば楽になるよ(病気ではないのです。ただの甘えですから)
さあ、勇気を出して行動しよう(はい、勇気を出して実行します)
当時はこんなことばかり考えていて、自分でもまずいと思った。
それからは、ネガティブ・ポジティブを問わず、人生というものに関する話題をできるだけ避けてきた。
だからこそ生きながらえたという気がする。
不思議なことにどんなに説明しても、当人には曲解であることは通じない。 解釈の仕方が一通りしかなくなってしまっている。 このパターンは非常に特徴的なので、 逆に検出するため...
がんばってるなあ この言い訳のほうが差別的感性が滲み出ていてよっぽど酷いと思うんだが
ああ、これものすごくわかる。。。 ネットで知り合った彼女が、まさにこういう思考をしていて (非常に増田的な思考ともいえる) 指摘するのは控えていたのだが、自閉的に病んでい...