もう何年も嘲笑の的になっている「自分探し」だけど、あれってそんなにおかしいことか?
むしろ、やって当然のことなんじゃないのか?
高校や大学を出たばかりじゃ、社会に出た自分が生涯続けていくべき仕事は何なのか、ピンと来ない奴もたくさんいるだろう。
なんとなく「イイ会社」を適当に選んで入って、それが生涯の仕事だなんて実感もないまま二十代から四十代までの一番エネルギーに満ちた時期を過ごすのは、個人として見ても人生の浪費だし、国として見ても馬鹿にならない損失なんじゃないのか。
もちろん中には、教育を受けている間に自分の興味や適性がはっきり見えて、迷うことなく仕事を選べる幸運な奴もいる。
だけどそれはかなりレアなケースで、周りを見ても、どうして自分がその仕事に就いているのかをはっきり説明できない奴は多い。
これはつまり、「自分探し」(=就職活動中によく言われる「自己分析」)が足りていないからだと思うんだよ。
自分が一所懸命になれる対象が何なのか、在学中には結論が出なかったなら、出るまでじっくり考えたらいいじゃないか。
その間は実家に寄生していようが、バイトで食い繋いでいようが、それでいいじゃないか。
そうしている間に選べる仕事の幅が狭まっていくのは、受け入れなきゃいけない事実だ。
だから結論が出るのは早いに越したことはない。
もちろん中には、教育を受けている間に自分の興味や適性がはっきり見えて、迷うことなく仕事を選べる幸運な奴もいる。 だけどそれはかなりレアなケースで、周りを見ても、どうし...
見聞で得られることには限界があるにも関わらず、 そこから全てを得て納得しようとするから、「自分探し」がなかなか終わらない 立ち止まって考えるのではなく、走りながら考えた方...
自分なんていない。如何にその場所に染まれるかだ。 自分を見つけてしまったら、社会には溶け込めなくなるよ。 マイペースを貫こうとするからね。
で、自民党からいくらもらってこれ書いてんの? 若者の自分探しってことにしといたら雇用政策の誤りを認めずに済むもんな。
もう何年も嘲笑の的になっている「自分探し」だけど、あれってそんなにおかしいことか? むしろ、やって当然のことなんじゃないのか? 「やって当然のことなんじゃないのか?」...