ラノベから専門書まで幅広くあったのだけど、コアな専門書を除いていろいろな本を読んでいた。
パソコンを買った直後は環境が整っていないのにもかかわらず、プログラムの本を読んで少し賢くなったような気分になった。
CG指南書で使われていたフォトショップをほしいと思って調べたら途方もない金額で諦めたりもした。
外国のホラー小説を借りてきてベッドの中で読んでいたら気付いたら早朝で昼間がとても辛かった記憶もある。
ラノベを読んでその作者をとても気に入り、既刊がほしいと図書館に申請したのにもかかわらず待ちきれなくて、当時は小遣いが少なくて辛かったにもかかわらず近所の本屋で一つのシリーズを一気にそろえてしまったこともある。
だからだろうか、大学受験が控えてるにもかかわらず小説を書きたくなってしまったのである。
勉強しながらではあるが、書きたい気持ちを抑えられなかった私は古くなったワープロを借りてこっそりと書き始めた。
後で親にばれて怒られるものの、大学生に入ってそれを新人賞に投稿した時はとてもうれしかった。
その小説が一次落ちだったときはそれほどがっかりしなかった。楽しさとうれしさがそれをはるかに上回っていたのである。
作文を書く程度の知識しかもっていなかった。文法も何もあったもんじゃない。テーマや小道具についても詳しく調べずに勢いで書いていた。落ちるのは仕方がない。
しかし、書いている時は自分の気持ちをぶつけて書いていた。書きたいという気持ちをその作品へ昇華させたのだ。
書く過程が楽しかったのである。
落ちた後も新人賞には出さなかったが短編を少しずつ書いていた。
もちろん、本も読み続けた。大学の図書館に小説はなかったので毎週本屋で買い始めた。
しかし、それらは卒業研究・求職活動が近付くと共に途絶えてしまった。
毎日本を読むことが途絶えてしまった。
湯船につかり本屋が閉店時間でしまっていて買いたい本が買えなかったことを悔やんでいた時、ふと高校生の時より本を読んでいないことに気づいたのである。
たしかに、本は買っていた。しかしそれは前より冊数は少なくなっている。3か月に1冊買えばいいほうだった。
あの本を開いていく時の緊張感や期待感は覚えている。しかし、それを感じることはほとんどない。
同時に、小説を最後まで書けなくなっていたことに気づいた。
2年前、また小説を書きたくなって書き始めた。だが、それも気がついたら途中まで書いて放置してしまった。
高校生の時に感じた、あの書く過程の爽快感が感じられない。それが原因だった。
あの気持ちがどこへいったのだろう。
私は風呂場の中で声を出さずに泣いていた。
泣く理由はなかった。でも泣きたかった。
本を読みたい。書きたい。
そう思いながら泣いていた。
昨日のことは心の中にしまっておくべきなのだろう。
だがしかし、この気持ちを何かに残しておきたくなった。
だから、ここを借りて残しておく。
ある意味、これも書きたいという気持ちと勢いなのかもしれない。
今日は本を買いに行こう。
そして、また小説を書きたくなったらまた書こう。
高校生の時に感じたあの気持ちを感じ、それをずっと離さないために。
ひたってんじゃねーよ馬鹿が。思春期過ぎて生活安定して意欲もなくなってんのをノスタルジーでくくってんじゃねーよ。 仕事場で同僚に起こられてろタコカス。
すし食いたいですよね。うまい奴。しめ鯖のキリッとした奴なんかいいですよね本当に。 トロなんかは妙に珍重されて、高くなり過ぎていますね。 その分うまいものが安めで買えるのは...
その気持ちわかる。 うんうんとうなづいてしまったよ。 すばらしい作品にあえたり、一緒にいることは幸せだし。 感動を忘れない!