プレゼントすることについて認識が変わることがあったので書いてみる。
やっと世間標準になっただけなんで、すでに世間標準の人は読み飛ばせばいいよ。
プレゼントするってのは相手に媚びてるような気がして、俺はいままでほとんどしたことなかった。彼女にすら高価なものなんてあげたことは一度もない。
ものをあげて気を引くっていう取引に見えたし、そうすることで自分の気持ちがつまらないものになるような気がしていた。
でも、身内に節目のお祝いでプレゼントしたら、いつになく素直に喜ばれた。そのリアクションに俺はショックをうけた。あげたものは、手帳。今後こういうの必要になるからと、お祝いと実用をかねての選択だ。
まあその、身内というのは妹なんだが、彼女にとって俺はうざい存在で、俺が覚えている限り今回みたいに感謝されたことはない。
考察は後述するとして、俺のことを書く。
俺の育った家庭はごく普通だが、家族イベントは流す家庭だった。
長男の俺が物心つくころには両親の結婚記念日は忘れ去られていたし、父の日や母の日といったイベントも完全にスルー。俺はそれが普通だと思って育った。テレビ番組で家族イベントについてのエピソードを見てもどこか白々しい話に見えていた。それでも家族は成立していたし、仲のいい家族だった(今現在も)。友人の家族イベントに対する熱心さをはじめて見た時は、むしろ引いたくらいだ。
そんな家庭で育ったためか、俺は中学高校大学で彼女ができても、感情表現を押し殺した付き合いをするようになる。
告白は自分からしない。嫉妬は隠し通す。付き合ってても好きと言わない。手は繋ぐしセックスもするけど、別れるときもつらいとかさびしいとか、感情的なことは一切言わず、しょうがないとしか言わない。
彼女の誕生日には、外食しておめでとう言って、セックスする。プレゼントもするにはしたが、指輪とかそういうのはあげたことはない。指輪は結婚相手にしかあげないという自分ルールを10代から適用してるからだ。
自分でも恐ろしいくらいのガキっぷりだが、それでも成立すると思ってた。なんせうちの家庭がそんなんだったから。
そんな俺だけど、妹にはいろいろやってきたと思っていた。経緯がややこしいから割愛するけど、妹が大学にいけたのも俺の協力があってこそだし(経済的な意味で)、普段からもっと感謝されてもいいかなと思ってた。でも実際は、それについて感謝されたことはない。
なのに今回、手帳をプレゼントしただけで感謝された。値段は数千円だ。
最初はその素直な感謝っぷりにびっくりした。戸惑った。注文から送るまで、全然手間もかかってない。何でだろうと思った。
しばらくして、仮説を立てた。
プレゼントを贈ることは、今まで考えてたような物と気持ちの取り引きじゃなくて、気持ちを伝えるプロトコルなんじゃないか。
気持ちってのも情報だ。自分はあなたを大事に思っています、という情報を伝えるのがプレゼントを贈ることなんじゃないだろうか。
シンプルな気持ちですら、実はかなり高度な情報で、気持ち同士で情報交換することはほぼ無理。熟練者同士でないとできない。
だからその気持ちを、下位プロトコルであるプレゼントに託す。プレゼントに気持ちが乗っかる。相手に届く。
だからこそプレゼントは値段じゃなくて気持ちって言われるんじゃないか。
ここではたと気付いた。すっげー普通のことじゃん、と。
こう考えると素直にプレゼントできそうな気がしてきた。
彼女ができるたびに指輪をあげていた友人が、なんかかっこよく見えてきた。あいつは気持ちが多いんじゃなくて、そのときの自分の気持ちの表現として指輪を選んでいたのかもしれない。
妹に手帳をあげたっていうきっかけでやっと気付いた。長かった俺の冬の時代。
だらだら長文になったけど、最後はこれで締める
明日指輪買ってくる!.
割と親しい(と思っていた)人の好みを以前聞いていたので、プレゼントをしたら「お返ししなくちゃいけないし、そんなお返しできないから受け取れないです」って言われた。 ヽ(´ー...
お前みたいな奴がいるから、世間標準以下の俺は増田をやめられないんだ! どうしてくれるんだ! 目から鱗じゃないか!
老婆心ながら言っておくと、まんがいち君のその「気持ち」が思ったほど伝わらず空回りに終わったとしても切れたりしたら絶対に駄目だぞ。へへっと笑うだけにしとけ。
http://anond.hatelabo.jp/20071015002446 そういったこと、つまり、体験をふまえてよくよく考えてみたら考えが変わり納得できたんだけど、それってすごく当たり前だと気付くことっていったいな...