2007-03-26

このはの話

「このは」という名前の猫を飼っていた事がある。

秋口にイチョウの葉で埋め尽くされた公園に捨てられていたから「このは」と名づけた。

性別はメスで、茶色のシマネコだった。

メスのくせに全然おとなしくなくて、拾った時はティッシュの箱から全部引っ張り出して滅茶苦茶にしたり、ここだと爪とぎする場所を教えても壁でバリバリと爪を研いだりした。

餌も馬鹿みたいに食べて、それでも食事していると頂戴と言わんばかりのくりくりの目でこちらをずっと見ていたりした。

僕の実家子供の頃から動物を飼ったことが無くて、最初の頃は本当に苦労の連続だった。

でも日に日にこのはが可愛くなってきて、しばらく経つ頃には僕はこのはを溺愛していた。

いなくてはならない、何にも変えがたい存在と言っても過言では無い有様だった。

僕は結婚していないからわからないけど、親ってこういう気持ちになるんじゃないかなとふと思ったりもした。

バイトに行っている間もずっとこのはのことばかり考えていて、猫缶の新製品が出たと知ると近所のペットショップであれもこれもと買ったりした。

首輪もこのはに似合う色を選んだり、それなのにまた新しい物を買ったりした。

ヒマがあるとネコじゃらしでこのはとずっと遊んだ。

ある日、このはが下痢をした。

飼ってから健康そのもののこのはだったのでビックリして抱きかかえたら、このはのお腹がぱんぱんに張っていた。

このはの体はいつもよりずっと温かくて、そこで僕は初めて異変に気づいた。

夜間にやっている動物病院タウンページでさがして電話したのだけれど

その時、初めて自分がぶるぶる震えているのに気づいた。

眠そうな獣医電話に出て、それでも今から連れてきなさいと言ったので、慌ててこのはをキャリーケースに入れて車で病院に向かった。

このはは、そのまま死んでしまった。

猫伝染性腹膜炎だと言われた。

獣医がなにやら説明をしていたけれど、僕の頭はまっしろになってしまって右耳から左耳へと獣医言葉は流されてしまっていた。

とにかくわかっていることは、このはが死んでしまったと言う事であり、それは変えることのできない事実として僕に突きつけられてしまった。

このはを拾ってからたった四ヶ月。

すっかり冷たくなってしまったこのはを抱きかかえながら運転して家まで帰った。

部屋に戻るとこのはが大好きだったおもちゃや、このはのトイレや、このはのごはんが目に飛び込んできて、僕は泣いた。

夜遅くてご近所に迷惑がかかるだろうなぁ、なんて頭の片隅で思ったけれど、とまらなかったからわんわん泣いた。

冷たいこのはを力いっぱい抱きしめながら。

このは、このは、って馬鹿のひとつおぼえみたいに、ずっとこのはの名前を呼んだ。

でもやっぱりこのはは冷たいままだった。

ちょうど、1年前の出来事。

今でも押入れの中の段ボールの中にこのはの首輪おもちゃが入っている。

見るとまだ涙が出てくるから、押入れのずっと奥底にしまっていたけど、今日出して改めて見てみた。

やっぱりまだ泣いてしまう。このは、本当に大好きだったんだよ。ありがとうこのは。

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