はてなキーワード: 鶴亀算とは
よく中学校に入ると突然勉強についていけなくなって落ちこぼれるって話聞くけど、それ本当? 俺の周りでは全然聞かないんだけど。
中学受験しない限り、周りのレベルは小学校の時と同じなんだから、相対的な成績は変わるわけないじゃん。勉強内容だって小学校で既に習ったことの繰り返しだし。数学でいえば、小学校で習った四則演算を、負の数入れてもう一回やり直すだけで、正直退屈だった。
新しい概念っつったらxが出てくることくらいか。それも、もともと鶴亀算が苦手だった俺としては、かえってありがたいくらいだったけどな。
むしろ強烈だったのは高一ギャップだ。
シグマだのサインコサインだの対数だの、具体的なイメージのつきにくい抽象的な概念が次から次へと出てきて、表面的な計算テクニックだけ教わっても、何それ、リンゴとミカンで言えば今何してるの?って感じであっという間に最下位になった。
中学校の時あれだけ暇だったんだから、もっと中学校のうちにいろいろ教えてしまえばいいのにな。
元も子もないことだが、おれは数学を学ばなければならない理由は、日本が工業国家である点にあると思う。われわれが一定レベルの経済(つまり回りまわって福祉)を維持しようとすると、外国から買って、加工して、輸出するしかない。そのためには競争力が必要で、それを維持する工業力のために技術に堪能な子弟が必要。そのためには数学を教えておくことは不可欠。
ロマンも志もないが、逃げられない事実だと思う。アメリカは同じような認識をスプートニク・ショックのときにして、全面的な教育改革に踏み出している(失敗もあったが成功もあった)。
将棋が論理的だっていうけど、考え方にがっちりと厳密な枠をはめて決定論的に運営しているのは数学だけだろ。将棋は直感でやってる部分があるし、そもそも教えるときに子供が直感でやっているのか論理でやっているのか判定できない。そうなると、論理的な考え方なんか教えられない。
鶴亀算でやる、理攻めの考察や、方程式で覚える「論理に裏打ちされた機械的操作」なんてのは、結構血や肉になるものだがな。すくなくとも、それらしいことを言われたときに、そんなことがありうるかを自分で考察するか、妄信するか、どこかに分かれ目がある。そのときに論理的な思考は必要だな。数学がそれを与えるってのは、あながちうそじゃないと思う。
最後に、
「数学なんか何の役にも立たない」
と言っている人間は、
どちかかがNoなら、その意見は聞く必要はないな。特に前者がNoの人。役に立たないんじゃなくて、数学がわからないんだから。