はてなキーワード: 負け惜しみとは
うん、だから俺はそれを言ったよね。ガスト以上にいい肉を食べてもいないのに、毎日牛丼レベルの味覚で「ガスト程度で十分よ」なんて言い切ってしまうって事だって。それと「金云々」は違うんじゃないの?って意味で言ったんだけど。
「ガストのステーキを食ったことないのに旨いと言ってる話」なんて俺全く言って無いし、今なんでそんなよくわからない話が出てきたのか分からん。誰かと勘違いしてるのかな?
で、今そこに書かれてるものから整理すると君は
「金なんてせいぜいガストのステーキレベルなんだよ」と思っている
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金は大切なんていう奴は、そこを分かっていない。なぜ分かっていないかというと、「金以上の素晴らしいものを知らない」か「金以上に素晴らしいものを理解する能力が無い」から。その二つが無い理由は、たいていの場合、「金を十分に持っていない」から。
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金を十分に持っていない奴が、金は大切だというのは、金を持っていないから「そんなに大切じゃない」という事が分からないのだ、だから持っていない時にそんな事言うのは滑稽だ
肉の例えは
毎日牛丼レベルのお粗末な味覚の持ち主が、素晴らしく高級で美味しいステーキを食べた事も無いのに、「ステーキはガストで十分」と言い切ってしまう滑稽さ
『どちらも経験した事が無いのに、その価値について語るのが滑稽だ』、その点で同じだといいたいんだろうけど
肉の場合は「現状より上級の体験をしてもいないのにマイナスに価値判断をしている」のに対し金の場合は「現状より上級の体験をしていないのにプラスに価値判断をしている」という部分が違っている。前者の場合は所謂負け惜しみに近いものがあるし、「おいおい、食べてもいないのに語るなよ」と言われても仕方ないが、後者の場合は寧ろ自然だろう。自分の現状より上級(らしい)体験で、実際にその人はその金がないが為に苦労をしている現状があってこそ「金があればほとんどの事は解決するのに」→「金は大切だ」とその人なりの結論を導き出しているのであって、「食べた事もないのに負け惜しみチックに物事を語る」とは違うんじゃないの?と、それを俺は言ったわけよ。だからその例えで言うなら、『普段吉野家の牛丼しか食べない奴が、「シャトーブリアンの肉は旨いんだろうな」と言う』といったようなたとえの方が的確ではないか?こちらも「食べてないのに分からないよ」と言えることは言えるけど、滑稽度が全然違う。個人的に言うなら、それは滑稽とは感じない。自然な考えだろうと思う。こちらも、「普段食べてる肉あんまり美味しくない、という現状から、もっと上級で高い肉はより旨いんだろうな(<ここもこういう例えの方が的確。吉野家で満足してる人が語る、のでは、「金に満足してる人が言う」という事になってしまう)」と推測するのはそんなに滑稽か?という話。
で、そもそも君の中での前提である「金はガストのステーキ程度」がまず、君の批判対象の人間とは違うわけで。前提が違うんだから、そりゃ出てくる結論も違うのは当たり前。つまり「金を十分に持ってないのに金は何より大切だって言う奴」を批判したいのなら、その例え(そもそも例えが上で言ったようにちょっと的外れてる)を持ち出し「経験したことないのに語るのが滑稽」という論点ではなく、そもそもその前提の「金はそんなに価値はないんだ。ガストのステーキ程度なんだ」から攻めるべきだろう。お互い違う前提から導き出された結論同士で戦ってたって、意味ないでしょ。その前提の違いからまず言い合わないと。
そのような事をいいたかったんだけど、説明するとこんなに長くなるから一行で書いちゃったんだよね。それだけで君が分かると思ったんだけど、どうも理解できなかったようなので長々と書いてみたよ。これなら理解できるかな?
BOOK OFFで、岡田斗司夫がテレビブロスで連載していた「オタクの迷い道」の文庫をふと買った。
懐かしいなあと思いつつ。
そしたら、後でネットで公開していることを知った。ギャー!
・・・まあいいや。語り下ろしの対談がついていたから(負け惜しみ)
で、本題。
下記の引用に出てくる「シンクロCHAT」の疑似ライブ感の面白さって、ニコニコ動画の起源みたいなものだなあと思った。
昔から、こんなことしていたのだなと。
それだけです。
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/mayoimichi/TVBROS5.html
「椎名へきるは、へきる星から来たんですよ」とぼくは教えられた。
「へきる星は神奈川県にあるんです」「えっ?!」「だから、へきるファンは、神奈川県へ行く時は、へきる星に言ってくると言うんですよ」
やっぱり、へきるファンは壊れている。
しかも、ちょうどいい具合に壊れている。
この前、名古屋で会ったファンも、少し前までは、熱が冷めてきていたのに、新曲「目を覚ませ、男なら」を聞いてしまった。「もし私がさらわれたら、必ず助けに来て。どこまでも追ってきて」という歌詞で、椎名へきる自身の作詞だ。その曲を毎日毎日、何回も聞いていると、だんだん「やっぱりファンをやめちゃダメだ。もっと応援しなきゃ」という気になってくる。あれは尊師のテープですよ、と彼は力説した。
CDを何回もきくのは、まだ初期症状だ。現在は、パソコン通信という悪魔のツールで、みんなの心はバキバキに壊されている。
へきるファンたち(つまりへきらーの方々)はインターネットやパソコン通信で毎日、何百件という書き込みを読んだり書いたりしている。毎日、そんなにたくさんのへきる情報を、浴びるのだ。世界で大事なことは、椎名へきるに関することだけという確信に至っても不思議ではない。
中でも、一番凄いのは、シンクロCHAT(チャット)だ。CHATというのは、パソコン通信の一種で、書いた文章がそのまま、即時に、みんなで読めるように表示されるシステムだ。だから、書き文字で会話が出来る。電子会議室が、みんなで見られる電子交換日記なら、CHATとは、電子井戸端会議だ。もちろんネットとつなぎっぱなしになるので、電話代や接続料がものすごく高くつく。が、それでもハマる人が多い悪魔のシステムなのだ。
椎名へきる会議室では、シンクロCHATというのが、流行っているらしい。
まず、予め、シンクロCHATを始める日時とアルバム名を決める。その時間前になると、ものすごい数の参加者が、CHAT部屋に入ってくる。で、3.2.1の合図の書き込みで、一斉に各自、自宅でCDをプレイする。これで、全国で何百人ものへきるファンが、同時に同じ曲を聞き始めるのだ。
この音楽に合わせて、コールを入れる。つまりコンサートと同じタイミングで「LOVELYへきる!」と、打ち込む。入力した瞬間、同時に入力された何百行もの「LOVELYへきる!」が表示される。画面上を流れ続ける何百行ものLOVELYへきる。目眩がする光景だ。
映画「シャイニング」で、狂った主人公がタイプライターでうち続ける同じ文章よりも、衝撃的だろう。
へきるファンだけでなく、声優ファンの会議室では、どこもシンクロCHATが盛んだそうだ。みんな、いい具合に壊れているなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20070403154329
http://anond.hatelabo.jp/20070313121815]
その非モテの御友人に状況が近い私がファッションと非モテについて思ったことを書きます。
私はファッションにあまり興味がなく、それでいて買う服は一般には受入れ難いものだと自覚しているつもりです。
たぶん、あなたと御友人は同じ時代にいながら違う世界を生きてるのではないでしょうか?
そもそもの価値観の順番が違うんだと思います。同じゲームをしているようで違うルールに従って生きているんです。
ファッションに関して言うなら、シンプルで清潔感があってTPOにあっていればOKという意見を否定するに十分な理屈は持ち合わせていません。
多分、世間的にはそれが正しいし私もそうなのだと思います。
私の場合、中高生のころ好きな女の子に振り向いてもらうためにファッションに気をつかうという経験が欠如しており
あなたの言うところのファッションの基本というやつを身につけていません。
基本って何ですか?それはマスコミが好きな流行というのに乗っかることなのですか?
そもそも異性に好かれることは人生においてそれ程までに優先すべき事項なのですか?
こんなことを書いていると流行にも乗れない、恋愛弱者の負け惜しみだと思われてもしょうがなく
自分でもまさに半分は負け惜しみだと思うのですが、もう半分は間違いなく本気でその価値を疑っているのです。
そしてなぜ端から見ると変な服を買うのかという疑問ですが、それはおそらくそれを変だと思っていないから。
もっと正直にいうと変だという気持ちより、その変なデザインに心惹かれる気持ちの方が大きいのだと思いますよ。
結局のところ人間が活動に費せるエネルギーは限られており私のような人間はファッションや恋愛なんかより
もっと面白いこと、自分で本当に大切だと思っていることにエネルギーを注いでいるということだと思います。
そして、その面白くて大切なことは世間的にはそれ程評価されていない。
そのため、自分の価値観に自信をもてないのです。