はてなキーワード: デイジーとは
http://anond.hatelabo.jp/20100920233848
確かにvocaloidが音楽制作の民主化、大衆化を成し遂げた面はあると思う。でも初音ミク自体は最初のvocaloid(LeonとLola)が発売された3年後に登場したもの。ミク以前からvocaloidは売られていたし、DTMやっている人の中にはそれを使って音楽制作していた人もいるだろう。そもそも合成音声を使って最初にコンピューターが「デイジー・ベル」を歌ったのは1961年まで遡る。制作側から見ると「民主化の旗手」ではあるかもしれないが「先導者」とは言いづらい。
ミクがもたらしたのは、「作る側」ではなくむしろ「聴く側」の変化じゃなかろうか。パソコン通信の時代からMIDI音源を使ってオリジナル曲をつくりアップしていた人はいるが、それを聴いている人はごく限られていた。インターネットが普及して以降も、素人がアップした曲がミリオン単位で再生されることはほとんどあり得なかっただろう。それが初音ミクの登場によって変わった。「初音ミクに歌ってもらいました」と書いてある曲を、大勢の人間が再生し聴くようになった。http://d.hatena.ne.jp/hattorikazuaki/20100920/1284982969の冒頭に書いてある通りだ。初音ミクを使い、DTMは過去になかったほど広大な市場を開拓するのに成功した。
初音ミクは音楽制作を独占する貴族から作る権利を取り戻そうとする民衆を率いる「自由の女神」というより、巨大な客層(消費者)の手元にDTMを届ける「現代の紀伊国屋文左衛門」に見える。
恋愛をマリオカートの多人数対戦に例えるなら、今の状況は著しくゲームバランスを欠いている、それだけの話だと思う。例えばの話だが、キノピオやノコノコ(非モテ男)が、クッパやドンキー(モテ男)、あるいはピーチやデイジー(女)に比べて加速性能も最高速もグリップ力も劣っていて、10回対戦したとしてもほば勝ち目がない、しかもキャラクターの変更(非モテ→モテへの転身)も認められないとしたら、そんなゲームはすぐに「クソゲー」として切り捨てられるんじゃないか?
この場合、悪いのは誰か?悪いのはクッパやドンキーを使うプレイヤーではなく、そのような不公平なパラメータ設定をした製作者だろう。非モテの話でいうなら、一方的な恋愛文化を生み出し、かつ商業主義によってそれを保持・強化しているマスメディアおよび世俗の流れ、といえる。この場合、クッパやドンキーを使うプレイヤーは、案外自分たちが優遇されていることに気付かないものだ。
「リア充嫌い」とか「ミソジニー」とかは、そのような不公平なゲームバランスを問題にするのではなく「クッパが憎い!ピーチが憎い!」とただ叫んでいるだけに過ぎないと思うのだが。
僕は三十歳になっていた。目の前にはこれからの十年間が、不穏な道としてまがまがしく延びていた。
(中略)
三十歳――それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。熱情を詰めた書類カバンは次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう。でも僕の隣にはジョーダンがいる。この女はデイジーとは違い、ずっと昔に忘れられた夢を、時代が変わってもひきずりまわすような愚かしい真似はするまい。車が暗い端を渡るとき、彼女はいかにもくたびれた様子で僕の上着の肩に顔をこっそり寄せた。そして誘いかけるように手を押しつけてきたとき、三十歳になったことの暗い衝撃は、僕の心から遠のき霞んでいった。